仏塔と仏舎利塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:04 UTC 版)
この習俗は初期仏教にも容れられ、釈迦や聖者に縁(ゆかり)の品、遺体の一部(遺骨〈舎利〉、遺髪、歯など)といった、いわゆる聖なる記念品や遺品・遺物を土中に埋め、盛り土をした上で日干し煉瓦で周りを囲う建造物として始まっている。釈迦の存命中、すでにそのようなかたちのストゥーパが造られていたことが、『十誦律』の56巻に記されている。造営したのは長者スダッタで、釈迦が諸国を遊行(ゆぎょう)する間、供養する機会を失う我が身を嘆き、せめて身近に縁の物を置かせてほしいと願い出て爪と髪を授かり、これらをストゥーパに納め、爪塔・髪塔として崇めたと伝えられる。また、釈迦が入滅したのち、遺骨の所有を巡って有力者間で争いが起こったが、バラモン僧ドローナ(ドーナ)の仲介によって武力衝突は避けられ、遺骨は8つに分けてそれぞれが供養することとなった。遅参したモーリヤの一族には遺灰が譲られ、分配者ドローナには分配に用いた瓶が与えられた。このようにして、10のストゥーパが、歴史的に間違いないとされる最初の「仏舎利塔」として各地に建てられることとなった。
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