人物・書物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 17:05 UTC 版)
目録学図書目録 七略 芸文志 経籍志 七志 七録 崇文総目 郡斎読書志 直斎書録解題 史略 通志 四庫提要 日本国見在書目録 図書分類法 七略 四部分類 諸子百家 術数学 目録学者 劉向 劉歆 鄭樵 章学誠 余嘉錫 関連項目 漢籍 書誌学 校讐通義 叢書 (漢籍) 表 話 編 歴 「名家」という呼称は、漢代に書かれた『史記』や『漢書』芸文志(諸子百家の分類の由来になった図書目録)が後から与えた呼称である。それらより前に書かれた『荘子』天下篇(諸子百家の学説誌的な篇)では、名家にあたる学派は「弁者」と呼ばれていた。また「弁士」「察士」と呼ばれることもあった。 『漢書』芸文志によれば、名家の書物は以下の七冊(七家三十六篇)が漢代当時に存在した。 『鄧析』二篇 - 春秋末期の鄧析に帰される。 『尹文子』一篇 - 尹文に帰される。 『公孫龍子』十四篇 - 公孫龍に帰される。 『成公生』五篇 - 秦代の成公生(中国語版)に帰される。 『恵子』一篇 - 恵施に帰される。 『黄公』四篇 - 秦代の黄疵(中国語版)に帰される。 『毛公』九篇 - 公孫龍と同時代の毛公に帰される。 このうち現存するものは、『公孫龍子』六篇、『鄧析子』二篇、『尹文子』二篇、以上の三冊十篇である。ただし、現存の『鄧析子』と『尹文子』は、後世の仮託・偽書の疑いがある。また、その内容から名家ではなく雑家や法家に分類されることもあり、その場合は『公孫龍子』が唯一現存する名家ということになる。 名家の人物は以上に挙げた七人以外にもいる。例えば『荘子』天下篇や『列子』仲尼篇によれば、桓団(別表記: 韓檀)という人物が、公孫龍と同時代の名家の中心人物とされる。また例えば、『韓非子』外儲説左上篇では、兒説という宋の弁者に「白馬非馬」が帰される。またある書物では、田巴という斉の弁士に名家の学説が帰される。またある書物では、綦毋子という人物が公孫龍の門徒にいたとされる。 そのほか、『隋書』経籍志などの後世の図書目録では、三国時代の劉劭『人物志』のような、人材品評術の書物も名家の書物とみなされる。しかしながら、内容的には戦国時代の名家とほぼ関係ない。 なお、20世紀後半から21世紀初頭には、馬王堆帛書・郭店楚簡・上博楚簡といった新出文献が相次いで発見されており、諸子百家の大半はそれらの新出文献により研究が進んでいる。しかしながら、名家に関する新出文献は特に発見されていない。ただし、後述の黄老思想(刑名思想)や生成論の「名」の思想に関しては、むしろ豊富に発見されている。
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