事件への反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 03:05 UTC 版)
「上野動物園クロヒョウ脱走事件」の記事における「事件への反応」の解説
翌日(7月26日)の新聞各紙は、この事件をこぞって取り上げた。読売新聞は社会面の見出しで、『大活劇!黒豹生捕りの巻 火責め水攻め苦心の末 現はれ出たる一勇士 金剛力トコロテン戦法に凱歌』と報じた。東京日日新聞は、『黒豹脱走 帝都・真夏のスリル!』と題し、社会面のほとんどをこの事件報道に当てた。東京朝日新聞は、『帝都の戦慄 上野動物園の黒豹けさ檻を破って脱出 新撰組二個中隊出動』と報じるなど、各紙の扱いはいずれも大きいものであった。 上野動物園は、同じ7月26日の新聞紙面に謝罪広告を掲載した。その文面は次のようなものであった。 謹謝 昨廿五日早朝上野動物園飼育の黒豹(雌)一頭脱出し市民各位に多大の御憂慮相懸け候段洵に恐縮に存上候 黒豹は園内暗渠内に潜伏し居るを発見致し同日午後五時卅五分無事捕獲収檻致候間何卒御休心被下度此段御報告申上候也 東京市 上野恩賜公園動物園 市民各位 この謝罪広告の他に、上野動物園は8月1日付の東京市公報においても謝罪文を掲載した。謝罪文では今回の事件について謹謝の意を述べるとともに、事件に対する処置と今後の対策について万全の策をとる旨を記述している。 作家の吉村昭は、事件発生当時小学校3年生だった。吉村は上野動物園にほど近い日暮里で生まれ、当時もそこで暮らしていた。事件の発生した7月25日は夏休みに入って初めての日曜日で、脱走の一報はたちまち町内に広まったという。ラジオからはクロヒョウの獰猛さをしきりに強調し、十分に警戒するようにとの放送が繰り返し流されていた。そのため町内は大騒ぎになり、各町会では家の戸を固く閉ざして外には出るなと触れて回った。吉村も雨戸を固く閉めた家の中にいたものの、今にも戸を破ってクロヒョウが飛び込んでくるような予感に怯えていた。 やがてクロヒョウ捕らわるという知らせが届き、吉村は外へ出た。近所の人たちも、知らせを聞いて安堵した様子を見せていた。ただし、吉村は長い間クロヒョウが日暮里から鶯谷方面への京成電車の高架線のくぼみに潜んでいたところを発見されて捕獲されたと思い込んでいた。後年になって吉村は、当時の東京日日新聞を読み返して、自分の記憶違いに気づいた。吉村はこの件について、『あらためて記憶というものが不確かなものであるのを感じた』と記述している。 上野動物園に長年勤務していた澤田喜子は、少女時代に体験したこの事件の記憶を書き残している。当時の澤田一家は、上野動物園のすぐ近所に住んでいた。事件当日の朝、彼女の父は通常なら開いている動物園の裏門が閉ざされていたことについて、「何か変だ」と話していた。程なくして動物園の職員が家を訪ねてきてクロヒョウの脱走を知らされたため、町会長だった父は町内への連絡に忙殺された。 時間の経過につれて警戒は大規模になっていった。姉の1人が「今日は夕飯の支度を早めにして、暑くても雨戸を閉めなければ」と言う声に澤田が我に返ったとき、「クロヒョウ捕獲」の知らせが届いた。夜になると、「上野動物園」と書かれた提灯を下げた動物園の職員が家を訪ねてきた。職員たちは深夜まで、町内の家々を回って今回の事件についての陳謝を伝えていた。 『もう一つの上野動物園史』の著者、小森厚はこの事件について、『その時の思い出を尋ねると、ほとんどの人が、一週間も雨戸を締めたままで、怖い思いをしたと語るのである』と記述している。実際には12時間半の脱走であった旨を説明しても、絶対にそんなことはないと主張する人もいたという。小森は『これはこの事件が世間に与えた衝撃の大きさを如実に示すものといえよう』と続けている。なお、クロヒョウ脱走事件は、同年に発生した「阿部定事件」、「二・二六事件」と並んで「昭和11年の三大事件」と評された。
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事件への反応
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「2017年ロンドンテロ事件」の記事における「事件への反応」の解説
イングランドでテロ事件が発生したことに対し、国内外から衝撃と怒りの声が上がり、事件は自由、言論の自由、民主主義への攻撃だと見なされるようになった。
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事件への反応
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本事件に関しては大学教授・精神科医などの専門家から「人間関係が濃密な地域社会の事件と言えるかもしれない」との指摘が上がった。 碓井真史新潟青陵大学教授(社会心理学)や社会評論家の芹沢俊介もそれぞれ事件の背景について「集落で孤立する中で恨みを募らせ、地域住民・地域そのものに対して恨みの矛先を向けた」と指摘したほか、精神科医の片田珠美も「Xは一方的に被害妄想を持ち、周囲に対する身勝手な不満を募らせていたのではないか」と指摘した。 立正大学の小宮信夫教授は事件の背景について「『地域社会から逃れられない』と思ったとき、その人間関係がプレッシャーとなって追い詰められる。インターネット上における誹謗中傷行為は、追い詰められた中でネットの世界に逃げ込んだ『SOS』だったのではないか」と推測した上で、事件前の兵庫県警の対応に関して「兵庫県警は現地の洲本署だけで加害者Xの問題に対応しようとしたが、マンパワーの問題で限界があったのではないか。本件はインターネットに犯行予告とも取れる画像を投稿するなど『緊急性が高い』と判断できる事案で、洲本署が兵庫県警本部と連携して対応すれば防げた事件かもしれない」と述べた。
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