九水との合併と独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:46 UTC 版)
日向水力電気の所在地宮崎県は、1910年代後半以降、大淀川や耳川、五ヶ瀬川など有力な未開発水力地点が多数存在することから、有力電力会社や財閥による水利権取得申請が相次いだ。ことに県北部を流れる五ヶ瀬川では政界を巻き込む水利権の争奪戦が展開された。争奪戦の結果、福岡・長崎方面へ供給する東邦電力(旧・九州電灯鉄道)、大分・北九州方面へ供給する九州水力電気(九水)、それに三井系の電気化学工業(現・デンカ)と住友財閥の出資によって1925年(大正14年)に九州送電が発足。同社の経営権は九州水力電気が掌握したことから、同社は宮崎県進出を果たすこととなった。 一方日向水力電気では、宮崎市における電灯市営化の問題に直面していた。営業地盤である宮崎市の電灯事業が市営化されれば経営が困難となるため、日向水力電気は宮崎県へ進出してきた九州水力電気へ合併を要請する。要請を受けて九州水力電気は合併を決定し、1927年(昭和2年)7月に合併を実施した。合併時、日向水力電気の資本金は600万円。社長は大和田市郎であった。合併で九州水力電気は宮崎市・宮崎郡・児湯郡・東諸県郡・西諸県郡にまたがる供給区域を引き継ぎ、宮崎市内に宮崎営業所を置いた。なお、宮崎市における電灯市営化はその後も実現していない。 合併後、昭和金融恐慌・昭和恐慌を背景とする全国的な電気料金値下げ運動が九州地方にも波及し、九州の電力会社各社はその対応に迫られた。九州水力電気区域では大分県・福岡県で値下げ運動が活発化したため、これへの対応として同社は1930年(昭和5年)4月に全社的な料金改定を当局へ申請した。この改定では、定額灯の場合10ワット灯(8燭灯、月額55銭)が新規設定され、20ワット灯(16燭灯)や30ワット灯(24燭灯)は従来地域ごとに差があった料金が全社的に統一されることとなった。新料金は全般的には値下げになったものの、宮崎県では反対で、20ワット灯は月額72銭から75銭(郡部のみ。市内料金は月額70銭へ値下げ)、30ワット灯は月額95銭から1円(郡部・市内同額)へそれぞれ若干の値上げとなる予定であった。加えて電灯の引換料が有料化されるという問題もあった。その結果、値上げ改定に反発した料金改定反対運動が発生し、九州水力電気は宮崎県での料金改定を見送らざるを得なくなった。 その後九州水力電気では、主たる地盤である九州北部から離れた宮崎県では統一・画一的な経営は困難で、なおかつ宮崎には独特の風土があり地域に即した営業が必要であると判断するに至り、1930年6月、宮崎営業所の事業の分離独立を決定した。
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