九十九商会とは? わかりやすく解説

岩崎弥太郎

(九十九商会 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 09:42 UTC 版)

岩崎 弥太郎[注釈 1](いわさき やたろう、旧字体岩崎 彌太郞天保5年12月11日1835年1月9日〉- 明治18年〈1885年2月7日[1])は、日本実業家土佐藩(現在の高知県)出身で、34歳の時、大阪で現在の三菱財閥(現:三菱グループ)の源流企業である日本郵船を創設した[2]。弟の岩崎弥之助とともに岩崎家の中心的人物である。50歳で病死。


注釈

  1. ^ 三菱史料館展示室に展示中の史料によると存命当時、活字は「岩﨑」を用いており、本人の署名は「岩嵜」であった。一方『平成新修 旧華族家系大成 上巻』(霞会館1996年刊)では「岩崎」となっており、現在の岩崎家は「岩崎」の表記を用いている。

出典

  1. ^ Iwasaki Yatarō Japanese industrialist Encyclopædia Britannica
  2. ^ 朝日日本歴史人物事典「岩崎弥太郎」
  3. ^ a b c d 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.1,三菱人物伝.「マンスリーみつびし」2002年5月号.
  4. ^ a b c 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.2,三菱人物伝.「マンスリーみつびし」2002年6月号.
  5. ^ a b 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.4,三菱人物伝.「マンスリーみつびし」2002年8月号.
  6. ^ a b c d e 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.5,三菱人物伝.
  7. ^ a b c 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.6,三菱人物伝.
  8. ^ 『長崎奉行所記録』及び『土佐群書集成第19巻』(高知市民図書館発行)
  9. ^ 『岩崎弥太郎不屈の生き方』武田鏡村、PHP研究所, Nov 16, 2012
  10. ^ 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.7,三菱人物伝.
  11. ^ 鍋島高明、高知新聞社、高知経済人列伝、P42
  12. ^ a b c d 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.8,三菱人物伝.
  13. ^ a b c d 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.10,三菱人物伝.
  14. ^ 佐々木誠治「近代海運業の発展と財閥」神戸大学経済経営研究32号1、1982,p3-6
  15. ^ vol.11 三菱マークの起源 三菱グループ
  16. ^ a b c d e 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.18,19,20,三菱人物伝.
  17. ^ a b c 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.12,三菱人物伝.
  18. ^ 三菱財閥 - コトバンク
  19. ^ a b c d e 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.13,14,三菱人物伝.
  20. ^ 『江戸商家の家訓に学ぶ商いの原点』荒田弘司、すばる舎, 2006 「第6章 事業の行き先に国家を見よ 三菱岩崎家の訓え」
  21. ^ a b c d e 成田誠一,三菱史料館,岩崎彌太郎物語,Vol.15,16,17,三菱人物伝.
  22. ^ 赤塚不二夫は、ビル・ゲイツは、足利尊氏は...。成功者たちの「フシギな習慣」12選 ライフハッカー 2013年9月09日
  23. ^ a b c d e f g h i j 佐藤朝泰 『門閥 旧華族階層の復権立風書房、1987年4月10日第1刷発行、ISBN 4-651-70032-2、262-263頁。
  24. ^ 佐藤 『門閥』 264-265頁。
  25. ^ 岩崎家傳記刊行会 編纂 『岩崎久彌傳』 東京大学出版会1961年12月2日発行、152頁。
  26. ^ 黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』岩波書店、2004年6月25日、188頁。
  27. ^ a b c 『財界家系譜大観 第3版』 現代名士家系譜刊行会、1977年12月1日発行、511頁。
  28. ^ a b c 『財界家系譜大観 第4版』 現代名士家系譜刊行会、1980年8月1日発行、416頁。
  29. ^ a b c 『財界家系譜大観 第5版』 現代名士家系譜刊行会、1982年8月1日発行、450頁。
  30. ^ 『官報』第479号「賞勲叙任」1885年2月7日。


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九十九商会

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岩崎弥太郎」の記事における「九十九商会」の解説

明治政府が藩営事業禁止しようしたため明治2年1869年10月土佐藩首脳林有造海運業私商社として土佐開成社、後の九十九(つくも)商会立ち上げた。代表は海援隊土居市太郎と、長崎商会中川亀之助、弥太郎事業監督担当した明治3年1870年)には土佐藩少参事昇格し大阪藩邸責任者となり、英語習得奨励した私腹を肥やしていると疑われ派遣され内偵石川七財勧誘し商会入れた明治4年1871年)の廃藩置県彌太郎土佐藩官職位を失ったため、九十九商会の経営者となった。九十九商会は、藩船3隻払下げを受け貨客運航鴻池家銭屋抵当として抑えられていた藩屋敷(現在の大阪市西区堀江土佐稲荷神社付近)を買い戻した岩崎弥太郎当地本邸構え事業営み三菱発祥の地となる。邸宅跡は現在石碑建てられている。明治期当時外国船は日本国内航路にまで進出しており、明治政府は「廻漕会社」を設立し幕府所有蒸気船与えた太刀打ち出来ず、また三井鴻池小野組などに設立させた日本国郵便蒸汽船会社に、諸藩から取り上げた蒸気船与え運航助成金支給したはかばかしくなかったに対して、九十九商会は高知神戸航路東京大阪間の輸送上潮だった。

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