七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)が後世に与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:08 UTC 版)
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17世紀の三十年戦争において樹立された(勢力均衡機構としての)「ヴェストファーレン体制」は18世紀中葉には完全に瓦解する(ただし、主権国家体制としてのそれは姿を変えながらも今日まで続いている)。 フランスは北米植民地とインドでの拠点を失い、イギリスの覇権が確立する(第一次大英帝国の成立)。 英領アメリカ13植民地はフレンチ・インディアン戦争後の国王宣言線に激しく反発し、さらに、この戦争の戦費を植民地人に負担させるため、英本国政府は13植民地に対し、砂糖法・印紙法・タウンゼンド諸法・茶法などの諸税を課そうとした。これがアメリカ独立革命の原因となった。北米大陸におけるフランス人勢力が一掃されたことによって、かえって英領植民地は本国からの安全保障を必要としなくなってしまい、これがアメリカ独立を促した側面がある。 ルイ15世・ルイ16世統治下のフランスでは、度重なる外征の戦費と中央集権の求心力を維持するための豪華な公開パフォーマンスと化した王家の生活などによって財政事情がきわめて悪化した。逼迫した財政状況を打開するためそれまで税制優遇を受けていた貴族層から新税を徴収しようとして市民層からの支持を取り付けようと三部会を招集したことがフランス革命勃発のきっかけとなった。
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