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さんぶ-かい ―くわい 3 【三部会】
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三部会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/06 14:44 UTC 版)
三部会(さんぶかい)は、通常は全国三部会(フランス語:États généraux)を指し、これはフランス国内の三つの身分の代表者が重要議題を議論する場として、中世から近世にかけて存在した身分制議会のことである。他にも地方三部会(州三部会:États provinciaux)もあった。全国三部会は全三身分会議[1]や大会議とも日本語訳される。以下、単に「三部会」という。
三部会はオランダのスターテン・ヘネラール、イングランド議会、スコットランド議会、スペインのコルテス、神聖ローマ帝国議会そしてドイツ諸侯の議会(Landtag)などヨーロッパ諸国の機関と同質のものである。
1302年、フランス王フィリップ4世が、ローマ教皇ボニファティウス8世と争った際に(アナーニ事件参照)、王側が国民の支持を得るために、パリのノートルダム大聖堂に各身分の代表を招集したのが最初とされる。三つの身分はそれぞれ、第一身分である聖職者、第二身分である貴族、そして第三身分である平民で構成される。身分毎に各1票の議決権を有していた[2]。王国のさまざまな問題について議論が行われたが、主たる議題は課税に関するものであった。
15世紀以降、絶対王政が確立され始めると三部会の意義が薄れ、1614年以降は召集されなかった(一部の地方では地方三部会が残っていた)。ルイ16世の時代になるとフランスは財政破綻に瀕し、特権階級への課税を図るがパリ高等法院の抵抗に遭い、彼らの要求する三部会の招集を認めた[3]。1789年5月5日、約170年ぶりに全国三部会が開催された。だが、議決形式を巡って三部会はすぐに行き詰まり[4]、事態が紛糾する中で第三身分が中心となった国民議会に変革し、遂にフランス革命を誘引した。このため、1789年が最後の三部会となった。
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- ^ 「アンシアン・レジーム」p52
- ^ 「アンシアン・レジーム」p52
- ^ 「世界の歴史21 アメリカとフランスの革命」p245-246
- ^ 「世界の歴史21 アメリカとフランスの革命」p255-259
- ^ 「カペー朝」p217-218
- ^ 「カペー朝」p224
- ^ 「英仏百年戦争」p89-90
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- ^ 「英仏百年戦争」p90-91
- ^ 「アンシアン・レジーム」p53
- ^ 「アンシアン・レジームの国家と社会」p35-36
- ^ 「宗教戦争」p15
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- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p34
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p42
- ^ 「宗教戦争」p29
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p46-47
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p68-71
- ^ 「アンシアン・レジームの国家と社会」p37-39
- ^ 「世界の歴史21 アメリカとフランスの革命」p243-244
- ^ 「世界の歴史21 アメリカとフランスの革命」p244-246
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- ^ 「世界の歴史21 アメリカとフランスの革命」p255
- ^ 「世界の歴史21 アメリカとフランスの革命」p257
- ^ 「世界の歴史21 アメリカとフランスの革命」p261
- ^ 「世界の歴史21 アメリカとフランスの革命」p262
- ^ 「英仏百年戦争」p89
- ^ 「英仏百年戦争」p89
- ^ 「聖なる王権ブルボン家」p46
- ^ 「アンシアン・レジームの国家と社会」p39
- ^ 「アンシアン・レジーム」p52
- ^ 「アンシアン・レジーム」p52
- ^ 「アンシアン・レジームの国家と社会」p43
- ^ 「アンシアン・レジーム」p48
- ^ 「世界の歴史10 フランス革命とナポレオン」p83
- ^ 「世界の歴史10 フランス革命とナポレオン」p83
- ^ 「アンシアン・レジーム」p51
- ^ 「アンシアン・レジーム」p51
- ^ 「アンシアン・レジーム」p51
- ^ 「アンシアン・レジームの国家と社会」p49
- ^ 「アンシアン・レジームの国家と社会」p49
- ^ 「世界の歴史10 フランス革命とナポレオン」p83
- ^ 「世界の歴史10 フランス革命とナポレオン」p83-84
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