七年戦争とロシア
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「チャールズ・ノウルズ」の記事における「七年戦争とロシア」の解説
「七年戦争」も参照 七年戦争の間、1757年のロシュフォール遠征で、ノウルズは提督エドワード・ホークのもと、ネプチューン(英語版)に乗艦して副指揮官を務めた。ノウルズは砲撃を指揮したが、この遠征は失敗とされ、その後批判を受けた一人となった。彼は『ノウルズ提督の遠征での指揮の真相』という見出しの冊子で自己弁護をしたが、これはトビアス・スモーレットから『ザ・クリティカル・ヴュー』で酷評され、ノウルズはこれを名誉棄損であるとして、スモーレットを告訴した。1757年の冬、ノウルズは短期間ロイヤルアンに乗ったが、ロシュフォールでの完敗は、退役のきっかけとなった。1760年10月31日には準男爵に叙せられ、12月3日に海軍大将となった。1770年に海軍を退き、その後露土戦争が行われている間に、ロシア帝国のエカチェリーナ2世から、ロシア帝国海軍の発展への助言を求められた。1774年まで、主にサンクトペテルブルクで軍の運営管理に関わる仕事をし、その後イギリスに戻って、1777年12月9日にロンドンのブルストロード・ストリートの家で死去した。遺体はサリーのギルドフォードに埋葬された。
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