ワサッチ山脈
ワサッチ山脈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:21 UTC 版)
一行は南に転進してヘイスティングズの近道へ向かった。数日のうちに地形が話に聞いたより険しいことがわかり、御者らは急峻な斜面を転げ落ちないよう車輪をロックせざるを得なかった。オレゴン街道は数年来の人馬の行き来で道が通りやすく明瞭になっていたが、この近道は道そのものが判別しづらい状態だった。ヘイスティングスは指示を書いた手紙を木々に貼って残していた。8月6日、一行が見つけたヘイスティングスの手紙には、ハーラン=ヤング隊が通った別ルートを案内するのでその場で待てとあった。リード、チャールズ・スタントン、ウィリアム・パイクの3人は先行してヘイスティングスを捜しに行った。彼らが遭遇したのはきわめて困難な峡谷で、大岩をどかす必要があったり眼下の川に崩れ落ちるような不安定な崖沿いだったり、馬車を壊しそうな道だった。ヘイスティングスは手紙の中でひどい難所ではドナー隊を案内すると申し出ていたが、実際には部分的に引き返しただけで、採るべき進路を大まかに示しただけだった。 スタントンとパイクは休息し、リード1人が引き返して、出発から4日後に本隊に戻った。約束されていた案内がないことがわかり、一同は引き返して旧道に戻るか、ハーラン=ヤング隊が残した轍をたどってウィーバー峡谷(英語版)の難所を抜けるか、またはヘイスティングスが勧めた方角へ向かって独自に新たな進路を開くか、3つから選択を迫られた。ここではリードの主張が通り、一同は新たなヘイスティングスの進路を選択した。その結果として、進行速度は1日あたり1.5マイル(2.4キロ)まで落ち込み、健常な男子は総出で藪を払い、木を伐り倒し、岩をどかして幌馬車を通さねばならなかった。 ドナー隊がワサッチ山脈を進んでいたところ、彼らを捜しにきたグレイブス家に追いつかれた。グレイブス家にはフランクリン・グレイブス(57)、妻エリザベス(47)と彼らの子メアリ(20)、ウィリアム(18)、エレノア(15)、ロヴィナ(13)、ナンシー(9)、ジョナサン(7)、フランクリン・Jr.(5)、エリザベス(1)、および嫁いだ娘サラ(22)と娘婿のジェイ・フォスディック(23)、ほかに御者のジョン・スナイダーがおり、3台の幌馬車に分乗していた。彼らの合流でドナー隊は幌馬車60 - 80台の総勢87名となった。グレイブス家はその年ミズーリを発った最後の集団にいたため、ドナー隊がこの年の西部移民団の最後尾にいることが確実になった。 8月20日、ドナー隊は山脈の中でグレートソルト湖を見下ろせる地点に到達した。ワサッチ山脈を抜けるにはそこからさらに約2週間かかった。男たちは口論するようになり、この道を選んだ人物、特にジェイムス・リードについて知性を疑った。一部の家族では食料と物資が底をつき始めた。リードとともに隊を離れたスタントンとパイクは帰路を見失い、のちに本隊に発見されたが、見つかるのがあと1日遅ければ馬を殺して食べているところだった。
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