レールバス導入の顛末とは? わかりやすく解説

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レールバス導入の顛末

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 15:33 UTC 版)

名鉄キハ10形気動車」の記事における「レールバス導入の顛末」の解説

名鉄は、戦前から戦中企業統合によって愛知県・岐阜県にまたがる広大な路線網有するようになったが、その中には閑散線区多く含まれており、モータリゼーション進展利用者著しく減少する区間目立ってきた。名鉄ではその打開策として、当時富士重工業試作中だったLE-Car目を付け電化設備撤去による設備費削減検討し始めた名鉄全線電化された電鉄会社であったものの、国鉄高山本線直通する特急北アルプス」に充当され気動車運用実績があり、運転士操縦免許気動車保守対す社内抵抗感はさほどなかった。現場不安視したのはLE-Car輸送力や一台車乗り心地性能不足からダイヤ維持できるかどうかといった点であり、運行コスト電車単行運転とした方が有利という声も上がった当時会社上層部は「新車入ればお客様喜んでもらえる」とレールバス導入乗り気だったが、車両課原誠(後の名鉄副社長)は発注条件として八百津線八百津支線)で試作車走行試験を行うことを提案した富士重工業試作車であるLE-CarIIの走行試験八百津線実施した結果、運転時分電車よりもかかるがその所要時分によるダイヤ維持は可能と判断された。乗り心地に関して長周期ヨーイング観測されたものの、上層部一軸台車である以上ある程度やむを得ないものとし、総合して八百津線へのレールバス導入決定的な問題点はないと結論付けた。 こうしてレールバス発注決まり1984年昭和59年)から1985年昭和60年)に投入されたのがキハ10形である。その後1987年昭和62年)には二軸ボギー台車変更したキハ20形が、1995年平成7年)にはキハ10形置き換え目的キハ30形導入された。運行区間試験行った八百津線皮切りに広見線新可児駅 - 御嵩駅間)、三河線西中金駅 - 猿投駅間、碧南駅 - 吉良吉田駅間)と拡大し広見線を除く各線区電力供給設備撤去して経費削減図った。 しかしそれでも乗客数減少歯止めをかけることはできず、2001年平成13年10月には八百津線が、2004年平成16年3月には三河線西中金駅 - 猿投駅碧南駅 - 吉良吉田駅間が廃止された。さらに、広見線新可児駅 - 御嵩駅間では電車運転が復活したことで、レールバス役割失い全車運用離脱した簡易な構造レールバス相応寿命短く電化設備撤去見合う経済性得られなかったため、以後名鉄同様のローカル線対策実施されていない

※この「レールバス導入の顛末」の解説は、「名鉄キハ10形気動車」の解説の一部です。
「レールバス導入の顛末」を含む「名鉄キハ10形気動車」の記事については、「名鉄キハ10形気動車」の概要を参照ください。

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