ラインズ・ブラザーズ社の設立
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「ラインズ・ブラザーズ」の記事における「ラインズ・ブラザーズ社の設立」の解説
1919年、第一次世界大戦後に引き上げてきたジョセフの息子たちは、経営をめぐってジョセフと意見の相違が発生したため、新たに『ラインズ・ブラザーズ社』 (Lines Bros Ltd. ) を設立した。取締役にはマンロー社のロバート・ウィリアム・マンロー (Robert William Munro ) と土木技術者のラルフ・フリーマン (Ralph Freeman ) が加わった。当初、玩具はワルターが設計した。 1921年、ラインズ・ブラザーズ社はロンドン南部のオールド・ケントロード沿いのオームサイド通り (Ormside Street ) の工場で製造を開始した。程なくロンドンの百貨店であるハロッズや南アフリカ・ダーバンのHarvey Greenacre & Co. Ltdと取引を開始した。 1924年、ロンドン南部のマートンに新しい工場を求め、553人の従業員と新型の生産設備を確保した。そして新しく三角形のトレードマークが作られ、それをもとに『トライアング』のブランド名が考案された。 同年、それまで農業を営んでいたジョセフの3男のジョージがG&Jラインズ社に入社した。1931年末にジョセフが死去すると、G&Jラインズ社の経営を任されていたG・ウッドロウは『ウッドロウ社』 (G. Woodrow & Co. Ltd ) を設立し、G&Jラインズ社の大半の従業員を引き抜いた。G&Jラインズの社名とトレードマークはラインズ・ブラザーズ社が買収した。3男のジョージはその時ラインズ・ブラザーズ社に入社した。 1931年、ロンドンの巨大玩具店として有名なハムレイズを買収した。ハムレイズはリージェント・ストリートの店舗建設に多額の資金を費やし経営悪化していたところであった。そのためラインズ・ブラザーズ社の従業員は1000人を超えることになった。同年、International Model Aircraft Ltd. (IMA社) が設立されフロッグのブランド名で模型航空機の製造を開始した。ラインズ・ブラザーズ社は1932年からIMA社と提携し、1936年から航空機プラモデルの製造を開始した。 1933年、ラインズ・ブラザーズ社は株式を公開した。 第一次世界大戦後から第二次世界大戦勃発までの間に、ラインズ・ブラザーズ社はバーミンガムに拠点を置いていた『ユニーク&ユニティ自転車』 (Unique and Unity Cycle Co. ) を買収し、子供向け自転車と三輪車の製造を開始した。買収以前は大人向け自転車を製造していたが、子供向け市場が急速に拡大していたため、大人向け自転車の製造は中止された。 1935年1月、『ミニック』(MINIC ) のブランド名の商標を取り、同年、自動車模型を発売した。最初に14種類のブリキの自動車模型が発売された。ミニック部門は後に拡大され、1950年代にフリクションドライブのPush & Goシリーズが、1959年には船舶模型の「ミニックシップ」が、1963年にはスロットカーの「ミニック・モーターウェイ」が発売された。これらはトライアング傘下のサブブランドであった。 第二次世界大戦が勃発すると、ラインズ・ブラザーズ社では玩具の製造を中断し、軍事物資の製造を開始した。マートン工場ではステンのMK3短機関銃が製造された。玩具の製造は第二次世界大戦後、すぐに再開された。 1951年からトライアング・レールウェイズの名でOOゲージ鉄道模型に参入した。また、1964年にライバル会社であったメカノ社を買収し、メカノ社の鉄道模型ブランドであるホーンビィを統合し、「トライアング・ホーンビィ」とした。 一時は世界中に40社以上の傘下企業をもっていたが、1970年に財政危機に陥り、多くを手放すことになった。会社は1971年に破産管財人の管理下に入り、鉄道模型のトライアング・ホーンビィは Dunbee-Combex-Marx Ltd. (DCM社) 傘下の Pocket Money Toys Ltd. に買収された。1972年にトライアング・ホーンビィが「ホーンビィ・レールウェイズ」と改称されたことにより、トライアングの名は消滅した。
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