メナス作戦とは? わかりやすく解説

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ダカール沖海戦

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 22:57 UTC 版)

ダカール沖海戦[3](ダカールおきかいせん)は、第二次世界大戦中の1940年9月下旬、イギリス海軍を主力とする連合国軍と、フランス海軍ヴィシー政権)との間で行われた戦闘[4]。作戦名はメネス作戦[5]Operation Menace[注釈 3]ドゴール将軍が率いる自由フランス軍がイギリス艦隊の支援の下でフランス領西アフリカダカール(現・セネガル)へ上陸しようとしたがヴィシー軍英語版に拒否されて戦闘になり[7]、イギリス艦隊も戦艦レゾリューション (HMS Resolution) が潜水艦の雷撃で大破するなどして撃退された。




  1. ^ ダカール駐留海軍司令官[2]
  2. ^ フランス小数艦隊司令官[2]
  3. ^ “威嚇”という意味[6]
  4. ^ アメリカ合衆国ソビエト連邦など世界各国はヴィシー政府を正統なフランスと承認し、イギリスだけが拒絶していた[12]
  5. ^ 姉妹艦ジャン・バール (cuirassé Jean Bart) は未完成状態でサン=ナゼールを脱出、カサブランカに移動した[15]
  6. ^ 第一一、敗戰フランスの海軍力[19] 戰前のフランスは主力艦七隻トン數にして一六三,九四五トンを保有してゐた。/ 内譯はクールベ英語版パリ英語版プロヴアンスブルターニユロレーヌ二二,一八九トン型五隻及びダンケルクストラスブール二六,五〇〇トン型二隻である。その外に建造中のものに三五,〇〇〇トン型リシユリユー以下ジャンバールクレマンソーガスコーグの四隻があつた。甲級巡洋艦は七隻、トン數總計七〇,〇〇〇トン、乙級巡洋艦は既成のもの十一隻九,七二九トン、建造中のもの三隻二四,〇〇〇トンを有してゐた。
     その他に航空母艦一隻、水上機母艦一隻建造中の航空母艦二隻を有してゐた外、これ等の軍艦に相應した驅逐艦、潜水艦等の艦艇を有してゐた事は勿論である。要するに英、米、日に次ぐ世界第四位の海軍力を有してゐたのである。
     イタリー海軍力はフランスと大體伯仲してゐたと見ていい。イギリスの地中海艦隊の勢力はイタリー海軍に匹敵するものであつたから地中海に於ては英、佛、伊の三艦隊が均等の勢力を以て鼎立してゐたのであつた。この均等の勢力があつたからこそ、イギリスは地中海のイタリー艦隊を牽制して地中海の制海權を把握し續けたのである。イタリーのエチオピア作戰當時英語版その空軍がイギリス地中海艦隊の頭上を亂舞して、若しイギリスがイタリーの行動に差出がましい態度を執れば、容赦はせぬぞといふ示威を試みたので、遂にイギリス艦隊も恐れをなして逃避し、積極的にエチオピアの作戰の妨碍をなし得なかつたのは、未だ記憶に新らしい事實である。ローマ帝國の再現を夢みてゐる若きファツシヨイタリー参戰後英語版も地中海からイギリス艦隊を追出さねば驥足を伸す事が出來ぬ。そこでイタリーは度々イギリス艦隊に向つて戰を挑んだのであるが、容易にイギリスの牙城を抜き得ず、依然として地中海の制海權はイギリスの手中に存してゐる實状である。
     マジノ線の突破によつてフランスが降伏した當時、フランス艦隊はイギリス艦隊と共同の行動をとり、殆ど無疵に近くまだまだ實力を保有してゐた。
     一國が敗戰の苦敗を嘗めさせられたと國情が騒然として収拾し得なくなるのは、歴史が物語つてゐるところであるが、フランスとてもこの鐵則からのがれることは出來ず、飽迄抗戰を叫ぶ政府が倒れて、新に親獨和平の政府が出來ても、平時と違つて新政府の威令は國内の隅々まで徹底するのは難中の難事であつた。
     殊に完全な實力を持ち、抗戰の意氣に燃えてゐる海軍を納得せしむることは更に困難があつた。こゝにフランス艦隊がどこへ行くかという問題が起きたのは當然である。
  7. ^ 第一二、佛海軍歸属を繞る爭奪戰[20] フランス艦隊の一部には新政府の命を奉じて本國に歸るべしとなすもの、反對に他方には仇敵ドイツに兜を脱ぐやうな政府は承認し得ない。飽までもイギリス艦隊と共に行動を續けてドイツを屈服せしむべきだとの強硬態度を執るものと二つに分裂するに至つた。
     以上のやうに艦隊内部が混亂を來し、議論が二分したのは敗戰といふ打撃が餘りにも大きかつたから已むを得ぬ事であらう。軍隊は指揮系統が一本になつて居てこそ強大な威力を發揮し得るであるが、事こゝに至つては烏合の衆に近くなり、實力の十分の一も發揮することは不可能となる。
     たゞこゝに問題となる事は獨英何れの側から考へてもこれが敵方に完全に接収された場合には、舊に倍した威力を發揮することが豫想される事だ。海軍力に劣るドイツは是が非でもフランス艦隊を無疵のまゝ手に入れたい。少くともイギリスの手に渡したくないのはあたりまへの事である。将棋でいふなら大駒を敵に渡すやうなものだ。飛車がないところへもう一つ角を渡せば敵は飛車角四枚を持つことになり、名人上手でも指し難くなる。
     イギリスとても思ひは同じでドイツへフランス艦隊を委ねてしまへば、鬼に金棒の強さになる事は明かであるから、ドイツに渡す位ならむしろフランス艦隊を潰してしまふ方が賢明の策だ、背に腹はかへられない。こゝにおいて昨日までは味方同士だつたフランス艦隊に對し、矛をさかさまにする非友誼、非人情を敢てしたのはオラン沖及びダカールにおけるイギリス艦隊のフランス艦隊に對する攻撃である。
  8. ^ ジブラルタルはイギリス海軍のH部隊の根拠地であった。
  9. ^ 第一三、佛艦隊英の手中に落つ[22] 獨佛停戰協定成立の直後七月三日午前主力艦三隻、航空母艦一隻、驅逐艦三隻其他よりなるイギリス艦隊は北阿アルゼリア領のオラン港に停泊中のダンケルク、ストラスブール兩主力艦以下のフランス艦隊に對して降伏又は自沈を勸告した。回答の期間は六時間であつたが、之に先立ちイギリス側は港口に磁氣機雷を敷設し、逃亡を阻止して置いた。拒絶の回答に接したイギリス艦隊は午後五時四十分直ちに砲撃を開始した。チャーチル英首相は四日の下院で「ドイツの手に渡ることを阻止する強硬手段である」と言明してゐる。ドイツ側の宣傳では回答期限を待たずに發砲したと報じその非を難詰してゐる。
     フランス艦隊は港内の足場の惡いところに碇泊してゐた上、イギリスの砲戰開始當時は汽罐の火を落してゐたので、應戰の遑のない中に大打撃を蒙つてしまつたのである。闇打的攻撃の犠牲となつたものは主力艦三隻、航空母艦一隻、驅逐艦二隻、その他數隻である。
     ヴイシー政府はイギリスの不法行爲を知るや否やアレキサンドリア軍港にあつて英艦との共同作戰に從事中だつた主力艦一隻、巡洋艦四隻、八吋砲装備艦三隻外小艦艇數隻に對し「即時アレキサンドリアを脱出して公海に出でよ、場合によつては砲撃しても差支なし」」との命令を發したが、優力なイギリス艦隊に立向ふを得ず、拿捕のうへ武装を解除されてしまつた。ダカール港には就役後間もない新鋭の主力艦リシュリュー號が碇泊してゐたが、七月八日英艦並に飛行機の魚雷攻撃を受け大破し艦尾を沈下してしまつた。カサブランカ港でも未完成の主力艦二隻が捕拿された。その他本國にあつて接収されたものは主力艦二隻、輕巡洋艦二隻、潜水艦、驅逐艦等多數に上つた。
     右のやうにフランスの主力艦は八隻の中或は撃沈され、或は武装解除され、或は接収されて滿足に殘つてゐるのは僅かにストラスブール一隻といふ惨めな有様である。
     今までの同盟國からかういふ惨酷な仕打を受けてはフランスとても黙してはゐられない。對英宣戰布告の説さへ出た程であつたが完全にフランスがイギリスを敵に廻し、ドイツと共にヨーロッパの新秩序を建設するに決したのはドイツ外交の成果が現れた極く最近の事である。今後フランスはアフリカ西岸の諸基地を提供し、殘つた海軍力もドイツと協力する事にならうが、早く手を打つてフランス艦隊を潰滅せしめたチャーチル首相は海上の勝利を得たが、フランスを完全にドイツに委ねた點に於て必ずしも上乗の策とは云へまい。さるにてもドイツにとつてフランス艦隊の喪失は惜みても餘りある事に相違ない。
  10. ^ 同時にハーミーズの艦載艇によるコマンド作戦も実施した[26]
  11. ^ 仏海軍は通報艦と呼称する。
  12. ^ 1940年8月時点でのアークロイヤル艦隊航空隊は、第800飛行隊英語版第803飛行隊英語版第810飛行隊英語版第818飛行隊英語版第820飛行隊英語版だった。

脚注

  1. ^ a b c ナチ占領下のフランス 1994, p. 204b.
  2. ^ a b c d e ペイヤール、潜水艦戦争 1970, p. 123.
  3. ^ 福田誠、光栄出版部 編集『第二次大戦海戦事典 W.W.II SEA BATTLE FILE 1939~45』、光栄、1998年、ISBN 4-87719-606-4、212ページ
  4. ^ ペイヤール、潜水艦戦争 1970, pp. 122a-126ダカール事件 一九四〇年九月二三日~二五日
  5. ^ 福田誠、松代守弘『War history books 第二次大戦作戦名事典  W.W.II operation file 1939~1945』光栄、1999年、ISBN 4-87719-615-3、20ページ
  6. ^ a b c d e f ペイヤール、潜水艦戦争 1970, p. 122b.
  7. ^ a b ナチ占領下のフランス 1994, pp. 204a-205はためくロレーヌ十字
  8. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 56–57.
  9. ^ ナチ占領下のフランス 1994, p. 63ドイツ軍の電撃戦、フランス進攻(1940年5月~6月)
  10. ^ ナチ占領下のフランス 1994, p. 61.
  11. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 201a-202フランスの名において
  12. ^ ナチ占領下のフランス 1994, p. 201b.
  13. ^ a b ナチ占領下のフランス 1994, pp. 202–204ロンドンのフランス人
  14. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 18.
  15. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 12(ジャン・バール脱出経緯)
  16. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 60–62フランス降伏
  17. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 69–73(2)ヴィシー政権の誕生
  18. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 77–78国土の三分の二が占領された
  19. ^ a b 列強の臨戦態勢 1941, pp. 116–117原本209-211頁(第一一、敗戰フランスの海軍力)
  20. ^ 列強の臨戦態勢 1941, pp. 117–118原本211-214頁(第一二、佛海軍歸属を繞る爭奪戰)
  21. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 73.
  22. ^ a b c 列強の臨戦態勢 1941, pp. 118–119原本213-215頁(第一三、佛艦隊英の手中に落つ)
  23. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 47(ロレーヌ接収経緯)
  24. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 178a☆フランス☆クルーベ
  25. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 178b☆フランス☆パリ
  26. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 176☆フランス☆リシュリュー
  27. ^ ナチ占領下のフランス 1994, pp. 47a-48イギリス嫌い
  28. ^ a b c d ペイヤール、潜水艦戦争 1970, p. 124.
  29. ^ a b c d ペイヤール、潜水艦戦争 1970, p. 125.
  30. ^ ペイヤール、潜水艦戦争 1970, p. 126.
  31. ^ 丸、写真集世界の戦艦 1977, p. 170.





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