ムダルニズマの全盛期
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「ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルク」の記事における「ムダルニズマの全盛期」の解説
1900年にドゥメナク・イ・ムンタネーがバルセロナ建築学校の学長に就任すると、プッチ・イ・カダファルクは建築学校の教授に迎えられた。1900年頃のバルセロナでは建築が芸術の範疇にくくられるようになり、建築家は一種の芸術家という意識を持つようになった。この頃にプッチ・イ・カダファルクは以下のように述べている。 (建築は)清澄かつ荘厳、不易な芸術であり、そのなかに人が入っても崇高なる厳粛さが損なわれないのは、あたかも作品が人間によってではなく至高の存在によって生み出されたものであることをあかすかのようだ — プッチ・イ・カダファルク、ウリオール・ブイガス『モデルニスモ』p.274 1902年にはイスパニア誌に論文を発表し、1880年代のカタルーニャ建築における3つの潮流について論じた。パリで開催されたガウディ作品の展覧会などを通じてムダルニズマ建築が国外でも好評化を受けるようになり、1904年にはプッチ・イ・カダファルクの全作品を集めた写真集がフランス語による解説付きで出版されている。1904年頃にはムンターダス邸やトゥリンシェト邸でバロック建築にカタルーニャ建築のアクセントを加えた大衆的バロックを試みている。1905年に完成したアルジャントーナの自邸はガウディのグエイ邸とともに空間構成の流動性に特徴があるとされ、隣り合う空間相互を視覚的に対角線方向に結び付けている。 バルセロナでもっとも多くのムダルニズマ建築が建てられた期間はおそらく1900年代の10年間であり、1910年頃にはもうひとつのピークを迎えた。1911年にバルセロナに完成したカザラモーナ工場(スペイン語版)は、リュイス・ムンクニイ・イ・パレリャーダ(スペイン語版)(1868-1931)のアイマリク・イ・アマート工場、ラファエル・マゾー(スペイン語版)(1880-1935)のテイシドー製粉所とともに、ムダルニズマの三大工場建築に数えられている。1899年にはバルセロナ市が優れた建築物を表彰する建築賞を制定しており、プッチ・イ・カダファルクはカザモラーナ工場で初めてこの建築賞を受賞した。
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