プルマンの分割とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 20:22 UTC 版)
「プルマン (企業)」の記事における「プルマンの分割とその後」の解説
プルマン・インコーポレイテッドは、1980年末まで独立した企業として存続したが、ホイールアブレーター゠フライ (Wheelabrator-Frye) と合併し、そして1981年の初めから半ばに掛けてプルマンの資産の分割へとつながった。 プルマン゠スタンダードは1981年にプルマンから分離独立してプルマン・テクノロジー・インコーポレイテッド (Pullman Technology, Inc.) となり、アムトラックのスーパーライナーを最後に1982年に製造を終了した。プルマン・テクノロジーは1987年に、その所有している客車の設計や特許などを目的として、ボンバルディア社に買収された。2004年末現在、プルマン・テクノロジーはボンバルディアの子会社として残っている。 一方、プルマン・カンパニーは、その貨車リース事業を1981年4月にプルマン・リーシング・カンパニー (Pullman Leasing Company) として独立させ、後にこの会社はITELリーシング (ITEL Leasing) の一部となった。報告記号はPLCXのままである。後にITELリーシングと報告記号PLCXはGEリーシング (GE Leasing) となった。 1981年半ば、プルマンは貨車製造事業をプルマン・トランスポーテーション (Pullman Transportation Company) として独立させた。いくつかの工場が1984年に閉鎖され、残った貨車工場とプルマン-スタンダードの貨車の設計および特許はトリニティー・インダストリーズ (Trinity Industries) へ売却された。 1980年後半のホイールアブレーター゠フライとの合併によって同社の子会社となり、貨車製造事業を分割した後のプルマンは、さらに合併と買収を繰り返し、多角化した企業として存続した。1982年1月、ホイールアブレーター゠フライは煙突やサイロの大きな製造業者であるM・W・ケロッグ (M. W. Kellogg) と合併し、プルマンとケロッグの両社を直接の子会社として保持した。1990年、ホイールアブレーター゠フライグループ全体がウェイスト・マネジメント・インコーポレイテッド (Waste Management, Inc) へと売却された。プルマン゠ケロッグの事業はウェイスト・マネジメントからプルマン・パワー・プロダクツ・コーポレーション (Pullman Power Products Corporation) として独立し、2004年末時点では specialty contractor のストラクチュラル・グループ (Structural Group) の子会社プルマン・パワーLLC (Pullman Power LLC) として事業を行っている。 プルマン以外の部分について説明しておくと、プルマン゠ケロッグの他の建設事業部門は新しいM・W・ケロッグとして独立し、1998年12月に合併によりケロッグ・ブラウン・アンド・ルート (Kellogg, Brown & Root) となり、後に油田会社ハリバートンへ売却された。最終的に他のケロッグの事業はラスト・エンジニアリング (Rust Engineering) と合併してケロッグ・ラスト (Kellogg Rust) となり、後にヘンリー・グループ (The Henley Group)、そしてラスト・インターナショナル (Rust International) へと改称し、こんにちではハリバートンと世界中で競合しているワシントン・グループ・インターナショナル (Washington Group International) のラスト部門 (Rust Division) となった。ワシントン・グループ・インターナショナルは土木・請負事業のモリソン・クヌードセン (Morrison Knudsen) の後継者であり、またモンタナ・レール・リンク (Montana Rail Link) の所有者でもある。 プルマン゠ケロッグのケロッグ側の事業の分割の後、さらに貨車の製造工場が売却されて、1944年の会社分割によって生まれたプルマン・カンパニーの正式な消滅により、残ったプルマンの事業はウェイスト・マネジメントにより1985年5月に新しいプルマン・カンパニーとして独立した。1985年11月、プルマンはピーボディ・インターナショナル (Peabody International) を買収して、プルマン・ピーボディ (Pullman Peabody) となった。1987年4月、プルマン・テクノロジーがボンバルディアに売却された後、会社名は再びプルマン・カンパニーへと戻され、1987年9月、クリーバイト・インダストリーズ (Clevite Industries) と合併した。1996年7月、自動車のゴム部品の供給会社になっていたプルマン・カンパニーとその子会社のクリーバイトは、テネコ (Tenneco) へと売却された。2004年末時点で、プルマン・カンパニーはテネコ・オートモーティブ (Tenneco Automotive) の傘下で自動車用ゴム部品を製造している。
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