フランツ・スティグラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:26 UTC 版)
「チャーリー・ブラウンとフランツ・スティグラー事件」の記事における「フランツ・スティグラー」の解説
ブラウンの爆撃機は損傷し、1機さまよっているところを地上からドイツ兵に発見され、その中に当時27機を撃墜したエースだったフランツ・スティグラーがおり、飛行場で燃料と弾薬の補給を行っていたところであった。スティグラーは直ちにメッサーシュミットBf 109 G-6(50口径のブローニングM2重機関銃の弾丸が冷却器に撃ち込まれたままであり、エンジンがオーバーヒートする危険性があった)で発進し、まもなくブラウンの爆撃機に追いついた。その機体に高射砲や戦闘機の銃撃によって大きく穴が開けられており、そこからは負傷して戦闘不能となった乗員の姿をうかがうことが出来た。ブラウンには意外なことであったが、スティグラーは爆撃機に発砲を行わなかった。その代わり、スティグラーは北アフリカで戦っていた時の第27戦闘航空団の指揮官の1人、グスタフ・レーデルの「もし君がパラシュートで降下している者を撃ったということを見聞きしたら、私自らの手で君を撃つ」という言葉を思い出していた。スティグラーは後に「私にとって、彼らはパラシュートで降下しているも同然でした。彼らを見ると、撃墜することは出来ませんでした」と述懐している。 スティグラーは二度、ブラウンにドイツの飛行場に着陸して降伏するか、付近の中立国であるスウェーデンに緊急着陸するように説得しようとした。もしそうすれば、ブラウンと乗員たちはそこで治療を受け、戦争が終わるまで抑留されたはずだった。しかしブラウンと乗員たちは口と身振りからはスティグラーの意図を解することが出来ず、そのまま飛行を続けた。後にスティグラーがブラウンに語るには、スティグラーはブラウンたちをスウェーデンに向けて飛行させようとしたとのことであった。スティグラーはブラウンの爆撃機がドイツの対空部隊に狙われないように、近づいて左舷翼のそばを飛行し、それを護衛しながら外洋に出るまで飛行した。ブラウンは、まだスティグラーの意図を測りかねていたので、上部砲塔の銃手に命じてスティグラーを狙わせつつも発砲はせず、警告するに留まった。スティグラーはそのメッセージを理解し、爆撃機がドイツ領空から抜け出したことを確認したので、敬礼をして去って行った。
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