フェイセズ
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フェイセズ (Faces) は、1969年代の末から1970年代の半ばまで活動したイングランドのロック・バンド。ヒット曲としては「ステイ・ウィズ・ミー」「デブリ」「いとしのシンディ」「ウー・ラ・ラ」「ボースタル・ボーイズ」「フライング」「3つのボタン」「アラウンド・ザ・プリンス」「リアル・グッド・タイム」等が挙げられる。
出典
- ^ “The Small Faces / Faces”. Rock & Roll Hall of Fame. 2018年10月9日閲覧。
- ^ Jones (2019), pp. 176–178.
- ^ Jones (2019), p. 208.
- ^ Jones (2019), pp. 252–253.
- ^ “It's Official: Faces Reunion”. Mix 100.7 WMTX-FM. 2008年6月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “THE FACES, WITH ROD STEWART, TO START REHEARSALS...”. GUARDIAN (UK). 2008年11月13日閲覧。
- ^ “THE FACES OFFICIAL REUNION WEBSITE”. 2008年11月14日閲覧。
- ^ Rod Stewart denies Faces reunion
- ^ Faces to reform without Stewart www.bbc.co.uk
- ^ Fortnam, Ian (2009年10月26日). “Holding Back The Jeers: Hucknall Sings With Faces”. Classic Rock. 2009年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月31日閲覧。
- ^ “Mick and The Faces”. 2010年5月25日閲覧。
- ^ “Hucknall named Faces new singer”. 2010年5月26日閲覧。
注釈
- ^ ピーター・フランプトンらとハンブル・パイを結成した。
- ^ 1985年7月にウェンブリー・スタジアムで開かれたライヴエイドと1988年2月8日の英国レコード産業協会の特別功労賞の受賞式で、ザ・フーが一時的に再結成した時には彼も参加した。
- 1 フェイセズとは
- 2 フェイセズの概要
- 3 その後
- 4 日本公演
フェイセズ
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「ロッド・スチュワート」の記事における「フェイセズ」の解説
アメリカのバンド、カクタスがロッドをリード・ボーカルとして誘ったが、彼はジェフ・ベック・グループのベーシスト、ロン・ウッドに誘われてスティーヴ・マリオットの脱退したスモール・フェイセスへ参加することを決めた。同バンドは、2人の加入と共にバンド名をフェイセズに変更した。フェイセズはアルコールにめっぽう強く、酔いどれバンドとしても知られた。また、ソロ・アルバムの契約にサインし、ソロ歌手としてマーキュリー・レコードと、そしてフェイセズとしてワーナー・ブラザースと2つのレコード会社を表す掛け持つこととなる。1969年に発表された最初のソロ・アルバム『ロッド・スチュワート・アルバム』は、リリース当時は目立ったヒットとならなかったが、1972年にはアメリカのBillboard 200で139位を記録した。 フェイセズのデビュー・アルバム『ファースト・ステップ』は1970年前半に発表され、その音楽スタイルはローリング・ストーンズに似通っていた。アルバムは、アメリカよりもイギリスでヒットし、バンドはライブでの評判が高まった。 2ndソロ・アルバム『ガソリン・アレイ』をギタリスト、マーティン・クイッテントンと共に発表。この頃はロッドのソロアルバムもフェイセズは惜しみなくレコーディングに協力していた。3rdソロ・アルバム『エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』が英米チャート共に同時1位という、史上5度目となる快挙を成し遂げる。また、シングル・カットされた「リーズン・トゥ・ビリーヴ/マギー・メイ」も大ヒット(全英1位/Billboard Hot 100で全米1位)を記録する。「マギー・メイ」は当初シングルB面扱いだったが、同曲を気に入ったラジオDJ達が後にA面扱いで紹介した(プレス上はB面のままである)。 フェイセズとしても3枚目のアルバム『馬の耳に念仏』がヒットし、「ステイ・ウィズ・ミー」が代表曲として知られるが、ロッドのソロ活動が成功するうち、バンド内に亀裂が生じることとなる。4thアルバム『ウー・ラ・ラ』ではレコーディングに参加しない楽曲まであり、フェイセズも当時のレコード会社の方針でロッドのバック・バンドのような扱いになってしまう。また、『ウー・ラ・ラ』をロッドが「完全な失敗作」などと批判する記事が掲載されたり、ソロ歌手として全米進出を目論んでいた矢先、レコード会社移籍問題で裁判になるといったトラブルも報じられた。これらが要因となり、1973年5月、リーダー格ロニー・レーンが脱退。同年7月には、日本人ベーシスト、山内テツが加入する。 その後もツアーは行われ、1974年2月には大阪と東京で全4公演の来日公演も組まれた(大阪2日目はキャンセル)。しかし、ライブ・アルバムの発表を機に“ロッド・スチュワート&フェイセズ”とロッドが主体となるようクレジットが変更されたこと、フェイセズのツアーにも関わらず、セットリストの多くはロッドのソロ名義の曲となり、関係の修復は困難となった。後にロッドはこう語っている。「ロニー・レーンはストーンズにおいてのキースの様な存在だった。彼の脱退と同時にフェイセズの魂は無くなってしまった」 1975年には、ロン・ウッドがローリング・ストーンズに参加し、ツアーも敢行されたが、この年にバンドは解散した。
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フェイセズ
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代々木公園に潜伏する、人間の顔を奪うビースト。ギガイフェクトを起こした。
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