フェイセズとは? わかりやすく解説

フェイセズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/06 23:13 UTC 版)

フェイセズ (Faces) は、1969年代の末から1970年代の半ばまで活動したイングランドロックバンド。ヒット曲としては「ステイ・ウィズ・ミー」「デブリ」「いとしのシンディ」「ウー・ラ・ラ」「ボースタル・ボーイズ」「フライング」「3つのボタン」「アラウンド・ザ・プリンス」「リアル・グッド・タイム」等が挙げられる。


出典

  1. ^ The Small Faces / Faces”. Rock & Roll Hall of Fame. 2018年10月9日閲覧。
  2. ^ Jones (2019), pp. 176–178.
  3. ^ Jones (2019), p. 208.
  4. ^ Jones (2019), pp. 252–253.
  5. ^ It's Official: Faces Reunion”. Mix 100.7 WMTX-FM. 2008年6月14日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ THE FACES, WITH ROD STEWART, TO START REHEARSALS...”. GUARDIAN (UK). 2008年11月13日閲覧。
  7. ^ THE FACES OFFICIAL REUNION WEBSITE”. 2008年11月14日閲覧。
  8. ^ Rod Stewart denies Faces reunion
  9. ^ Faces to reform without Stewart www.bbc.co.uk
  10. ^ Fortnam, Ian (2009年10月26日). “Holding Back The Jeers: Hucknall Sings With Faces”. Classic Rock. 2009年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月31日閲覧。
  11. ^ Mick and The Faces”. 2010年5月25日閲覧。
  12. ^ Hucknall named Faces new singer”. 2010年5月26日閲覧。

注釈

  1. ^ ピーター・フランプトンらとハンブル・パイを結成した。
  2. ^ 1985年7月にウェンブリー・スタジアムで開かれたライヴエイドと1988年2月8日の英国レコード産業協会の特別功労賞の受賞式で、ザ・フーが一時的に再結成した時には彼も参加した。


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フェイセズ

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ロッド・スチュワート」の記事における「フェイセズ」の解説

アメリカバンドカクタスロッドリード・ボーカルとして誘ったが、彼はジェフ・ベック・グループベーシストロン・ウッド誘われてスティーヴ・マリオット脱退したスモール・フェイセス参加することを決めた。同バンドは、2人加入と共にバンド名をフェイセズに変更した。フェイセズはアルコールめっぽう強く酔いどれバンドとして知られた。また、ソロ・アルバム契約サインしソロ歌手としてマーキュリー・レコードと、そしてフェイセズとしてワーナー・ブラザース2つレコード会社を表す掛け持つこととなる。1969年発表され最初ソロ・アルバムロッド・スチュワート・アルバム』は、リリース当時目立ったヒットとならなかったが、1972年にはアメリカBillboard 200139位を記録した。 フェイセズのデビュー・アルバムファースト・ステップ』は1970年前半発表されその音楽スタイルローリング・ストーンズ似通っていた。アルバムは、アメリカよりもイギリスヒットしバンドライブでの評判高まった2ndソロ・アルバムガソリン・アレイ』をギタリスト、マーティン・クイッテントンと共に発表この頃ロッドソロアルバムもフェイセズは惜しみなくレコーディング協力していた。3rdソロ・アルバムエヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』が英米チャート共に同時1位という、史上5度目となる快挙成し遂げるまた、シングル・カットされた「リーズン・トゥ・ビリーヴマギー・メイ」も大ヒット全英1位/Billboard Hot 100全米1位)を記録する。「マギー・メイ」は当初シングルB面扱いだったが、同曲を気に入ったラジオDJ達が後にA面扱い紹介したプレス上はB面のままである)。 フェイセズとしても3枚目のアルバム馬の耳に念仏』がヒットし、「ステイ・ウィズ・ミー」が代表曲として知られるが、ロッドソロ活動成功するうち、バンド内に亀裂生じることとなる。4thアルバムウー・ラ・ラ』ではレコーディング参加しない楽曲まであり、フェイセズも当時レコード会社方針ロッドバック・バンドのような扱いになってしまう。また、ウー・ラ・ラ』をロッドが「完全な失敗作」などと批判する記事掲載されたり、ソロ歌手として全米進出目論んでいた矢先レコード会社移籍問題裁判になるといったトラブル報じられた。これらが要因となり、1973年5月リーダーロニー・レーン脱退同年7月には、日本人ベーシスト山内テツ加入するその後ツアー行われ1974年2月には大阪東京で全4公演来日公演組まれた(大阪2日目キャンセル)。しかし、ライブ・アルバム発表機にロッド・スチュワート&フェイセズ”とロッド主体となるようクレジット変更されたこと、フェイセズのツアーにも関わらずセットリスト多くロッドソロ名義の曲となり、関係の修復は困難となった。後にロッドはこう語っている。「ロニー・レーンストーンズにおいてのキースの様な存在だった。彼の脱退同時にフェイセズの魂は無くなってしまった」 1975年には、ロン・ウッドローリング・ストーンズ参加しツアー敢行されたが、この年バンド解散した

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フェイセズ

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デビルマンレディー」の記事における「フェイセズ」の解説

代々木公園潜伏する人間の顔を奪うビーストギガイフェクト起こした

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