パン祭りの成功と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:04 UTC 版)
「世田谷パン祭り」の記事における「パン祭りの成功と発展」の解説
初回の2011年は商店会が手探り状態で運営を始め、IID 世田谷ものづくり学校と池尻小学校第二体育館を借りた上で世田谷区を中心とした約40店のパン屋が参加した。宣伝のために作ったのはポスターとチラシ程度であったが、不安視されていた集客はTwitterなどのSNSを通じて話題が広まり、初回の2011年は予想を大きく上回る7000人強の来訪があった。志賀にとってもこの盛況は予想外のことであり、「世の中にはこんなにパンが好きな人が多いんだ」という発見につながった。シニフィアン・シニフィエはその後も世田谷パン祭りへの参加を続け、祭りの代表的存在となった。さらに志賀を尊敬するパン職人たちのパン祭りへの出店を促す結果ももたらされた。 第1回の成功を見た商店会の飲食店も、翌年の開催からは屋台の出店などに協力するようになった。2回目からは世田谷公園を会場として使えるようになり、行政側との連携も整った。2014年の開催では来訪者が20,000人を超える成功となった。そこで2015年の開催からが2日間の開催に拡大した。2018年の開催では2日間で50000人以上が来訪している。そしてパン祭りの成功によって商店会への加入が増え、発足当初の20店舗から30店舗に増えている。 世田谷パン祭りに参加するパン屋は、2016年の時点で日本の各地から1日で100軒が出店していた。パン祭りは1年を通して三宿界隈にもっとも多くの人々が訪れる成功をおさめたが、間中たちは一時の成功ではなく商店会の活性化と地域の人々に喜んでもらうことを目指していた。その方法として商店会のスタンプラリーに加えて、地元である池尻まちづくりセンター館内に住む住民が優先入場できる時間帯を設定している。 世田谷パン祭りはパンに関するイベントでは日本最大級であり、「パンの祭典」とも呼ばれるようになった。そして世田谷区民だけではなく日本全国から多くの人が集まるイベントとして認知された。そしてこのイベントは地元の三宿だけではなく他からも集まってくる200人以上のボランティア活動に支えられている。間中は「ボランティアをリピートする方が増え、イベントが同窓会のような場所になれば」との期待を述べた。 世田谷パン祭りは、コロナ禍の影響を受けて2020年はオンラインでの開催となった。2021年は感染対策を徹底した上で会場の規模を通常の約半分にして、例年は屋内で開催されていたパンマーケットをメインとして屋外の会場で開催された。この回のテーマとなった「Hello Bread!」は、世田谷パン祭り実行委員によると、『暮らしにも制限が及ぶなかではありますが(中略)パンのつくり手やパンを愛する人たちが、パンを片手に「Hello!」とマスクの下でみんなでにっこり笑いあえる、そんな幸せなお祭りにしたい』という気持ちをこめたものであった。
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