パリ国立高等音楽・舞踊学校
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パリ国立高等音楽・舞踊学校(仏: Conservatoire national supérieur de musique et de danse de Paris または Conservatoire de Paris)は、フランスの音楽、舞踊、音楽音響のための芸術大学で、仏国立高等音楽院のひとつ。パリ国立高等音楽院(ぱりこくりつこうとうおんがくいん、Conservatoire national supérieur de musique de Paris, Le Conservatoire de Paris, CNSM de Paris)とも呼ばれる。
- ^ “Les établissements publics d’enseignement supérieur” (フランス語). www.culture.gouv.fr. 2021年10月22日閲覧。
- ^ a b c パリ国立音楽院とピアノ科における教育(1841~1889) : 制度、レパートリー、美学上田 泰、東京芸術大学学位論文、2016-03-25
- ^ a b http://www.artespublishing.com/serial/archives/kokaji/ 小鍛冶邦隆「音楽・知のメモリア 第9回 メシアン、あるいは「知の継承 (Le savoir transmis)」をめぐって」。後に、同著者『作曲の思想 音楽・知のメモリア』、アルテスパブリッシング、2010年 に収録。
- ^ http://www.cnsmdp.fr/conservatoire/rapports_activites/Synth%E8se%202007.pdf
- 1 パリ国立高等音楽・舞踊学校とは
- 2 パリ国立高等音楽・舞踊学校の概要
- 3 施設
- 4 音楽院関係者一覧
- 5 脚注
パリ国立高等音楽・舞踊学校
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「パリ国立高等音楽・舞踊学校」の記事における「パリ国立高等音楽・舞踊学校」の解説
1946年、演劇部門が国立高等演劇学校 (Conservatoire national supérieur d'art dramatique) として分離独立したことで、舞踊部門と音楽部門はパリ国立高等音楽舞踊学校 (Conservatoire national supérieur de musique et de danse de Paris : CNSMDP) として改編された。新たなクラスとして、サクソフォン (1942)、打楽器 (1947)、教育 (1947)、室内楽 (1947)、クラヴサン (1950)、オンドマルトノ (1968) が設立された。第九代学長クロード・デルヴァンクール (1941 - 1946) によって分析科教授に任命されたメシアンのクラスからは、ピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼン、リュク・フェラーリらが輩出され、後の音楽分析のクラス (1962 - 1968) からは、ジェラール・グリゼー、トリスタン・ミュライユ、ミカエル・レヴィナスらが輩出された。ミヨー(作曲、1947 - 1962)のクラスからは、バート・バカラックらが、また、ピアノ伴奏クラス教授 (1946 - ) として呼び戻されたブーランジェのクラスからはミシェル・ルグランらが輩出された。この時期の他の教授としては、カミーユ・モラーヌ(声楽、1962)、アンドレ・ジョリヴェ(作曲、1965)、モーリス・アンドレ(トランペット、1966)、イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ、1967)、ピエール・シェフェール(テープ音楽、1968)、ジョルジュ・バルボトゥー(ホルン、1969)、ジャン=ピエール・ランパル(フルート、1969)、モーリス・ジャンドロン(チェロ、1969)らが挙げられる。 1980年、リヨン国立高等音楽舞踊学校 (CNSMD de Lyon) がリヨン市に設立され、以降、現在に至るまで、フランス国立高等音楽院は二校存在している。フランソワ・ミッテラン 大統領による音楽都市 (Cité de la musique) 計画 (1984) に基づき、第十四代学長アラン・ルヴィエ (1986 - 1991) がラ・ヴィレット公園内への校舎移転 (1990) を執り行った。ルヴィエからグザヴィエ・ダラス (1991 - 1992)、マルク=オリヴィエ・デュパンの時代にかけて、古楽科 (1984)、音響科 (1989)、舞踊教育科 (1989)、ジャズ・即興科 (1991) が設立され、また教育科の再編により、新技術、グレゴリオ聖歌指揮、ルネサンスポリフォニー、二十世紀音楽書法、即興、民族音楽などのクラスが設立された。この時代の教授としては、イヴォ・マレク(作曲、1972 - 1990) らが挙げられる。
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