パドレス時代 (2004 - 2005)
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「ロバート・フィック」の記事における「パドレス時代 (2004 - 2005)」の解説
デビルレイズから放出された翌日の8月19日、サンディエゴ・パドレスと契約した。パドレス加入後は13試合に出場したが、打率.167・OPS0.500に終わった。なお、マイナーではAAA級のポートランド・ビーバーズで12試合に出場し、打率.380・2本塁打・6打点・1盗塁・OPS0.984を記録した。オフの11月1日にFAとなった。 翌2005年2月19日に、パドレスと再契約。同年はパドレスで93試合に出場し、打率.265・3本塁打・30打点・OPS0.705という打撃成績を残した。守備面では、ファースト、キャッチャー、ライト、レフト、サードの5ポジションを守った。サードの守りに就いたのは、メジャーでは2005年のみで、しかも1試合だけだった。マイナーでは、エル・パソで10試合に出場し、打率.375・3本塁打・11打点・1盗塁・OPS1.210という成績を残した。そして、10月28日にFAとなった。
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パドレス時代 (1996 - 1998)
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「グレッグ・ボーン」の記事における「パドレス時代 (1996 - 1998)」の解説
1996年7月31日に、ブライス・フロリー(英語版)、マーク・ニューフィールド(英語版)、ロン・ビローンとのトレードで、ジェリー・パレント (後日指名) とサンディエゴ・パドレスへ移籍した。ボーンがトレードされたことは、試合中にスコアボードでも知らせられた。パドレス加入後はスランプに陥り、43試合の出場で打率.206・10本塁打・22打点・4盗塁・OPS0.783という成績に終わった。通年では、145試合の出場で打率.260・41本塁打・117打点・9盗塁・OPS0.903だった。守備面では、レフトを計137試合で守って6失策・守備率.978だった (ブルワーズではセンターも守った) 。この年、パドレスは地区優勝した為、ボーンはキャリア初のポストシーズンを経験。カーディナルスとのNLDSでは、いずれも代打として3試合に出場したが、無安打に終わった。10月28日にFAとなったが、12月19日にパドレスと再契約した。 1997年は120試合に出場し、打率.216・18本塁打・57打点・7盗塁・OPS0.716という打撃成績を記録。これら5部門は、いずれも前年の通算成績を下回り、特に本塁打と打点は半分以下の数字だった。守備面では94試合でレフトを守り、1失策・守備率.994という成績だった。 1998年は、2年ぶり3度目のオールスターに選出された。代打で出場したボーンはヒットを1本放ち、2打点を記録した。この年は、自己最高となる158試合に出場し、打率.272・50本塁打・119打点・11盗塁・OPS0.960という成績を記録。2020年2月時点で、本塁打はパドレスの球団記録であり、打点も球団歴代3位の記録である。パドレスが地区優勝したことで、ボーンは2年ぶりにポストシーズンに出場。ヒューストン・アストロズとのNLDSでは、初戦でランディ・ジョンソンからホームランを放った。チームはリーグ優勝し、ワールドシリーズにも出場したボーンは、第1戦でデービッド・ウェルズから2本塁打を記録。オフの表彰では、自身初のシルバースラッガー賞に選出されたほか、MVP投票でも4位にランクインした。
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