バルカン・ブラス・バンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/04 01:56 UTC 版)
「セルビアの音楽」の記事における「バルカン・ブラス・バンド」の解説
「バルカン・ブラス・バンド」を参照 ブラス・バンドは、特にセルビア中部、南部では大変盛んである。このブラス・バンドの伝統はセルビアに固有のものであり、セルビア国家の誕生以来、戦争のときも外国の支配を受けたときも、その歴史のほとんどを共にしてきた。この音楽は1804年のカラジョルジェ蜂起の時、トランペットが初めてセルビアにもたらされたときから始まっている。カラジョルジェ蜂起は、400年に及んだオスマン帝国の支配に反抗したセルビア人のカラジョルジェ・ペトロヴィッチ(黒ジョルジェ)が率いた武装蜂起であった。この時、トランペットは兵士らを起こし、集め、戦いの合図をするための軍事用の楽器であり、また休息時間の娯楽でもあり、兵士らは有名な民俗音楽をトランペットで演奏していた。蜂起が終わり、兵士らが故郷に帰るとき、トランペットの音楽が一般市民社会にもたらされた。ちょうどその時、ロマ(ジプシー)たちもこの伝統に加わり、より複雑なリズムや旋律を加えていった。これによって、より繊細で旋律的な西部セルビアの楽隊と、より複雑で舞踏的な、ジプシーの影響を受けた南部セルビアの楽団という2つの潮流が生まれた。 良く知られたセルビア・ブラスのミュージシャンには、ファイェト・サイディッチ(Fejat Sejdić)、バキヤ・バキッチ(Bakija Bakić)ボバン・マルコヴィッチ(Boban Marković)などがいる。グチャで行われるドラガチェヴォの集いでは、毎年30万人を超える観客が世界中から集まる。
※この「バルカン・ブラス・バンド」の解説は、「セルビアの音楽」の解説の一部です。
「バルカン・ブラス・バンド」を含む「セルビアの音楽」の記事については、「セルビアの音楽」の概要を参照ください。
- バルカン・ブラス・バンドのページへのリンク