ニュージーランド・ファースト党結成後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/12 10:20 UTC 版)
「ウインストン・ピータース」の記事における「ニュージーランド・ファースト党結成後」の解説
1993年にニュージーランド・ファースト党を結成し、1993年の総選挙ではトゥ・ヘナレ議員と2議席を獲得する。1996年の総選挙で同党は17議席を確保しピータースも議席を保持する。同年、ニュージーランド国民党との連立政権に参加を表明し、ピータースは副首相兼収入役に就任する。世論に反し連立政権は好調に維持されるも、ニュージーランド国民党内ではこの連立政権は好ましく思われずボルジャー首相(当時)の外遊中に党内クーデターが決行され、ボルジャーは帰国後に党首を辞任、党内主流派を率いたシップリーが首相に就任した。1998年8月に国有資産売却案を巡りピータースは更迭され、連立政権は崩壊した。1999年の総選挙で、ニュージーランド・ファースト党は5議席に留まり議席を減らす。ニュージーランド国民党も野党に転じ、ニュージーランド労働党が政権を奪回する。ピータースの政治動向は、特にアジア地域からの移民流入に反対する移民政策を柱とする主張を強調するようになる。2002年の総選挙では移民政策、ワイタンギ条約の不公平さの是正、刑罰強化などを柱に選挙戦を展開し、13議席を獲得する。2005年の総選挙でニュージーランド・ファースト党は7議席を獲得する。クラーク首相の要請を受け、閣外協力に参加すると同時に外務大臣に就任する。 ナショナリズム、ポピュリズムを中心に、“ニュージーランドはニュージーランド人を最優先に”を強く主張する。マオリ族の地位向上と権利を強く主張し、特にアジア地域からの移民流入に強く反対する。刑罰強化を訴えるなど、社会的弱者や高齢者からの支持が厚い政治家でもある。 2008年11月の総選挙では、ニュージーランド・ファースト党は惨敗して全議席を失い、ピータースも落選した。2011年の総選挙で国政に復帰する。2017年の総選挙(英語版)では9議席を獲得し、ピータースが労働党党首ジャシンダ・アーダーンを首班とする連立政権の樹立で合意する。ピータースは再び外務大臣に就任することとなった。同時に副首相を兼任。アーダーン首相が2018年6月に出産し6週間の産休期間を取得している間、副首相のピータースが首相代行を務めた。
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