ニコライ・ロマノヴィチ(1992年 - 2014年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 05:58 UTC 版)
「ロシア帝位請求者」の記事における「ニコライ・ロマノヴィチ(1992年 - 2014年)」の解説
1979年、ウラジーミルに反対する7人のロシア皇族たちがロマノフ家協会(英語版)を創設し、同年の暮れにロシア帝室とその縁者からなる同協会のメンバーの半数以上(ロシア帝室の男系子孫のみに限れば大多数)の同意を得て、「ウラジーミルはその両親の不法な結婚により帝位継承権を持たないとする」という決定を行った。当然ながらウラジーミルと娘のマリヤは同協会に参加することはなかった。協会はマリヤの息子ゲオルギーについても、ロシア帝室の一員とは認めないとしている。 1989年に総裁のヴァシーリー・アレクサンドロヴィチ公が没すると、協会は次の総裁に、ロマン・ペトロヴィチ公とロシア貴族出身の妻との間に生まれた長男のニコライ・ロマノヴィチ・ロマノフ(英語版)を選んだ。ロシア国家に対するロマノフ家協会の公式見解は、「ロシア人は自らの望む形の政体を選択すべきであり、それがもし君主政体であるならば、ロマノフ家にロシア君主となる資格がある」というものである。しかし1992年4月にウラジーミルが死去すると、「ロシア公」の儀礼称号を使用するニコライ・ロマノヴィチは自らがロシア帝室家長となることを宣言し、家長の座をめぐってマリヤ・ウラジーミロヴナと競合することになった。 ニコライは以下の2点を挙げて自分を正統な帝位請求者であると主張した。まずロシア帝室家内法が定める男系男子の原則の見地から言えば、ウラジーミルの後継者には自分がなるはずであること。そして「ロシア大公」は王族との「身分対等の結婚」の原則を守らねばならないため、非王族出身者を母に持つマリヤは貴賤結婚で生まれた子供として帝位継承順位から外れるが、単なる「ロシア公」にはロシア大公のように結婚に関する厳格な制約は適用されないはずであるから、自分の父ロマン・ペトロヴィチとロシア貴族出身の母との結婚は貴賤結婚の範疇に入らず、従って自分はロシア帝位継承権を有する、というのがニコライ自身の見解である。自身を総裁とするロマノフ家協会に属するロシア帝室の人々はニコライを支持し、マリヤを貴賤結婚で誕生したと見なしている。
※この「ニコライ・ロマノヴィチ(1992年 - 2014年)」の解説は、「ロシア帝位請求者」の解説の一部です。
「ニコライ・ロマノヴィチ(1992年 - 2014年)」を含む「ロシア帝位請求者」の記事については、「ロシア帝位請求者」の概要を参照ください。
- ニコライ・ロマノヴィチのページへのリンク