ドーヴァー秘密条約の締結と突然の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 08:04 UTC 版)
「ヘンリエッタ・アン・ステュアート」の記事における「ドーヴァー秘密条約の締結と突然の死」の解説
1668年12月、ルイ14世はオランダと対抗するため、イングランドと同盟を結ぶことを決め、そのための協力をアンリエットに求めた。王とアンリエットとシャルル・コルベール・ド・クロワシーの3者の間で、同盟案が綿密に練られた。同盟案がまとまり、1670年5月にアンリエットは密使としてイングランドに向けて旅立ちドーヴァーに到着した。兄チャールズ2世は、仲の良い妹との再会を大変に喜び、5月22日にアンリエットの努力によって、フランス・イングランド間でドーヴァー秘密条約が結ばれた。 別れ際に兄妹は贈り物の交換をした。チャールズ2世からは銀器・絵画・宝石・コッカー・スパニエルが、アンリエットからはネル・グウィンが生む子供のための細々とした品々が贈られた。大任を果たしたアンリエットはフランスに戻ったが、6月、サン=クルーの館でチコリを飲んでいる最中に突然苦しみ出し、親友ラファイエット夫人に抱かれそのまま急死してしまった。アンリエットがイングランドに旅立つ前に釈放されてローマにいたロレーヌが彼女の召使を買収して、ローマで入手した毒薬をティーカップに塗らせて復讐しようとしたという噂が流れたが、本当の死因は潰瘍による重い腹膜炎だった。 アンリエットの葬儀は盛大に行われ、遺体はサン=ドニ大聖堂へ埋葬、ジャック=ベニーニュ・ボシュエが追悼演説を行い、かつてアンリエットの護衛をしていたバッキンガム公などが列席した。オルレアン公は1671年にロレーヌのフランス帰国と引き換えに、アンリエットの従姪に当たるエリザベート・シャルロット・ド・バヴィエールと再婚、アンリエットの侍女だったルイーズ・ケルアイユは渡英してチャールズ2世の愛人になった。
※この「ドーヴァー秘密条約の締結と突然の死」の解説は、「ヘンリエッタ・アン・ステュアート」の解説の一部です。
「ドーヴァー秘密条約の締結と突然の死」を含む「ヘンリエッタ・アン・ステュアート」の記事については、「ヘンリエッタ・アン・ステュアート」の概要を参照ください。
- ドーヴァー秘密条約の締結と突然の死のページへのリンク