ドゥル・シャルキン建設とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ドゥル・シャルキン建設の意味・解説 

ドゥル・シャルキン建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:11 UTC 版)

サルゴン2世」の記事における「ドゥル・シャルキン建設」の解説

詳細は「ドゥル・シャルキン」を参照713年段階で、サルゴン2世遠征成功によって財政強化しており、新たな首都とすることを意図してドゥル・シャルキンアッカド語Dur-Šarru-kīn、「サルゴン要塞」の意)の建設取り掛かった。他のアッシリア王たちによる遷都試み例えアッシュル・ナツィルパル2世カルフ改修や、サルゴン2世死後のセンナケリブによるニネヴェへの遷都など)とは異なりドゥル・シャルキン既存都市拡張するではなく、全くの新都市建設する試みであったサルゴン決めたドゥル・シャルキン建設位置カルフきわめて近くアッシリア帝国中心地としてふさわしい(とサルゴン考えた)場所であった。 この計画壮大な事業であり、サルゴン2世はこの新都市建設を、自身最大業績とすることを意図していた。ドゥル・シャルキン建設され土地は、それまではすぐそばにあるマガヌッバ(Maganubba)村民所有していた土地であったドゥル・シャルキン設立され発見され碑文では、サルゴン2世意気揚々とこの土地最適であると認めると主張しており、マガヌッバの村民適切な市場価格支払って土地取得したことを強調している。ほぼ3平方キロメートル計画区域を持つこの都市アッシリア最大の都市になる予定であり、サルゴン2世都市人口維持するために必要になるであろう膨大な農業用水確保するため、灌漑プロジェクト開始したサルゴン2世はこの建設計画深く関与しており、カルフ宮廷においてエジプトクシュ)の使節饗応している際も、常にそれを監督していた。カルフ総督宛てた一通書簡において、サルゴン2世次のように書いている。 カルフ総督対する王の言葉700俵の700束の葦(それぞれロバが運ぶことができるより多くの束)はキスレヴ(Kislev)の月の初めまでにドゥル・シャルキン到着しなければならない一日でも遅れたならば其方は死ぬであろうドゥル・シャルキン計画図はカルフからインスピレーション得ていたが、この二つ都市計画同一ではなかった。カルフアッシュル・ナツィルパル2世によって大規模な再開発が行われたが、それでもなお幾らか自然に成長した居住地であった。全く対照的にドゥル・シャルキンにおいては建設地周辺の景観考慮されていない二つ巨大な基壇1つ王宮武器庫建物もう一つ宮殿神殿建物)、要塞化された市壁7つの記念碑的な門、これら都市にある全てのものが完全にゼロから建設されている。これらの市門既存帝国内の道路網を考慮することなく一定の間隔置かれていた。ドゥル・シャルキンサルゴン2世宮殿は、それまでアッシリア王建てた宮殿の中で最大かつ最も装飾豊かな宮殿であった浮彫宮殿壁面飾りサルゴン2世征服場面、特にウラルトゥ遠征とムサシルの略奪詳細に描かれていた。 サルゴン2世後期の遠征成功裡終わったサルゴン2世は前711年現在のイスラエルにあったアシュドド征服成功し、またシロ・ヒッタイトの王国グルグム(英語版)(前711年)とクンムッフ(英語版)(前708年)をアッシリア帝国組み込んだサルゴン2世の前713年中央アナトリア遠征タバル小王国の征服目指し行われ、ここにアッシリア属州を置くことに成功した。だがこの属州流血反乱の後、前711年失われた。これはそれまでアッシリア歴史においてかつて無かったことである。

※この「ドゥル・シャルキン建設」の解説は、「サルゴン2世」の解説の一部です。
「ドゥル・シャルキン建設」を含む「サルゴン2世」の記事については、「サルゴン2世」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ドゥル・シャルキン建設」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ドゥル・シャルキン建設」の関連用語

ドゥル・シャルキン建設のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ドゥル・シャルキン建設のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのサルゴン2世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS