ニネベ【Nineveh】
ニネヴェ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 19:46 UTC 版)
ニネヴェ(英語: Nineveh)は、古代メソポタミア北部にあったアッシリアの都市で、現在のイラク北部の都市モスルに位置する[1]。近代にあってはコウユンジクとも呼ばれた。ティグリス川の東岸に位置し、新アッシリア帝国の首都にして最大の都市であり、紀元前612年までの約50年間において、世界最大の都市でもあった。現在では、都市モスルのうち、ティグリス川の東岸側の半分を指す一般的な地名であり、イラクのニーナワー県の名前はこの都市に由来する。
- ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年3月4日閲覧。
- ^ Oxford English Dictionary, 3rd ed. "Ninevite, n. and adj." Oxford University Press (Oxford), 2013.
(オックスフォード英語辞典(第3版、2013年)『Ninevite』(ニネヴェ人)の項より) - ^ a b c “Nineveh”, Encyclopaedia Judaica, Gale Group, (2008)(『ユダヤ教百科事典』(ゲイル出版(米国))における『ニネヴェ』の項).
- ^ Jastrow 1996, p. 888.
- ^ Layard 1849, p. 21「・・・トルコ人によりクユンジクと呼ばれ、アラブ人にはアーモシーアーと呼ばれていた」
- ^ “Koyundjik”, E. J. Brill's First Encyclopaedia of Islam, p. 1083
(『コユンジク』の項より。『E・J・ブリルの最初のイスラム百科事典』1083ページ) - ^ Mieroop 1997, p. 95.
- ^ Turner 1970, pp. 68–85.
- ^ 「誇り高きニネヴェ」とは、旧約聖書の預言における、地上の誇りの象徴である。「主はまたその手を北に向かって伸ばし、アッシリアを滅ぼし、ニネヴェを荒れ地とし、荒れ野のように干上がらせられる」 (ゼファニヤ書 2:13)。
- ^ Mallowan 1936, pp. 104–110.
- ^ Colorado State University 2020.
- ^ Lambert 2004, p. 38.
- ^ Gurney 1936, pp. 358–359.
- ^ a b Shaw 2002, p. 427.
- ^ a b Ashrafian 2011, pp. 47–49.
- ^ Scarre 1999.
- ^ Reade 1998, pp. 65–71.
- ^ Brown 1995.
- ^ Jacobsen & Lloyd 1935.
- ^ Dalley 2013.
- ^ British Museum 2020.
- ^ a b c d Dalley 1993, pp. 134–147.
- ^ Vlaardingerbroek 2004, pp. 233–241.
- ^ 戦争を司る7人の神
- ^ a b c Webb 2018, p. 1078.
- ^ Reade 1998b, pp. 65–83.
- ^ Al Sumaria 2016.
- ^ Winter 2016.
- ^ Shuckford & Wheeler 1858, pp. 106–107.
- ^ “Jubilees 9”. www.pseudepigrapha.com. 2017年11月17日閲覧。
(ヨベル書第9章) - ^ VanderKam 2000, p. 435.
- ^ 列王記下19:36
- ^ イザヤ書37:37–38
- ^ ナホム書1:14及び3:19
- ^ ナホム書2:6–11
- ^ イザヤ書10:5–19
- ^ ゼファニヤ書2:13–15
- ^ ヨナ書3:3、4:11
- ^ 日本語訳の旧約聖書ではそのようには感じないかもしれないが、例えば英語版では街の名前を列挙した後で「それは大きな街だった」と補足しており、どの街を指しているのか、わかりにくい。
- ^ Barker & Burdick 1995, p. 1361.
- ^ ヨナ書4:11
- ^ 新約聖書:マタイによる福音書12:41、ルカによる福音書11:32。コーラン:スラ37:139-148。
- ^ Syrian Orthodox Church 2012.
- ^ Liverani 2016, p. 23「1170年頃、ヘブライ人コミュニティーから別のヘブライ人コミュニティーへと近東中を旅していた(スペインの)トゥデラのラビ、ベンジャミンは、モスル(彼はそこを「アッシュル大王」と呼んだ)に到着した。(地元の仲間から得た情報のおかげで)彼には確信があった。それは、ティグリス川の向こうには、既に廃墟となって、その上には村や農場がある、かの有名なニネヴァがあるに違いない、というものである。・・・10年後、別のラビ、ラティスボン(ドイツのレーゲンスブルク)のペタキアもモスルに到着し(彼はモスルのことを「新しいニネヴァ」と呼んだ)、川を渡って「古いニネヴァ」を訪れた。彼はその場所を、土地が瀝青のように黒く、草の葉もなく荒廃し、「ソドムのように滅ぼされた」場所だと書いている。・・・神話は別として、ニネヴァの位置は依然としてありふれた情報であり、議論の余地はなかった。さまざまな西洋人旅行者 (例えば1644年のジャン・バティスト・タヴェルニエ、1779 年のブルギニヨン・ダンヴィルなど) もそれを確かめ、いくつかの調査が続いた。」
- ^ Pusey 1888, p. 123.
- ^ Layard 1849.
- ^ Layard 1853.
- ^ Layard 1849b.
- ^ Layard 1853b.
- ^ Liverani 2016, pp. 32–33.
- ^ Russell 1997.
- ^ Smith 1876.
- ^ Rassam & Rogers 1897.
- ^ Thompson & Hutchinson 1929, pp. 103–148.
- ^ Thompson & Hutchinson 1931, pp. 79–112.
- ^ Thompson & Hutchinson 1932, pp. 55–116.
- ^ Thompson & Mallowan 1933, pp. 71–186.
- ^ Mohammed Ali Mustafa, Sumer, vol. 10, pp. 110–111, 1954
- ^ Mohammed Ali Mustafa, Sumer, vol. 11, pp. 4, 1955
- ^ Madhloom 1967, pp. 76–79.
- ^ Madhloom 1968, pp. 45–51.
- ^ Madhloom 1969, pp. 43–49.
- ^ Pickworth 2011.
- ^ Ford 2014.
- ^ Adeane 2018.
- ^ a b EMP 2019.
- ^ a b Romey 2016.
- ^ Ditmars 2022.
- ^ Merhi 2015.
- ^ Al-Khatib 2016.
- ^ Pickworth 2005, pp. 295–316.
- ^ Wilkinson 2003.
- ^ Borger 2016.
- ^ GHF 2012.
- ^ Malas 2014.
- ^ AINA 2015.
- ^ AINA 2015b.
- ^ Tucker 2008.
- ^ Kipling 1897.
- ニネヴェのページへのリンク