トロツキーに関する資料収集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 23:33 UTC 版)
「ピエール・ナヴィル」の記事における「トロツキーに関する資料収集」の解説
1963年にマルクス主義歴史学者アイザック・ドイッチャーによるトロツキーの伝記『追放された予言者』が出版された。彼の亡命時代(1929 - 1940年)、すなわち、ナヴィルがトロツキーと交流のあった時代の伝記で、その内容に失望したナヴィルはトロツキーに関する資料を収集し、この時期の「共産主義運動の危機」について書かなければならないと思った。これが『新リヴァイアサン』全6巻執筆の契機であり、1970年から1977年にかけて刊行された(著書参照)。 また、トロツキーに関する資料収集の一環として、1929年から1940年にトロツキーがメキシコのコヨアカンで暗殺されるまでの間に交わした書簡の復元に奔走した。これは、第一次大戦中、ナヴィルが捕虜収容所に送られたときに、妻ドゥニーズの知人に手紙などの資料をすべて預けていたところ、この知人がトロツキーからの手紙(約300通)が含まれていると知ると、恐れをなしてすべて破棄してしまったためであった。資料にはヴィクトル・セルジュ、アルフレッド・ロスメルからの手紙も含まれていた。ナヴィルは、トロツキーの妻ナターリア、およびトロツキーが暗殺されるまでの7年間、彼の秘書としてトルコ、フランス、ノルウェー、メキシコで行動を共にし、当時アメリカの大学に勤務していたジャン・ヴァン・エジュノール(フランス語版)に連絡を取って協力を求めた。ハーバード大学の図書館が資料を保管していたからである。だが、資料が機密解除されたのは1980年のことであり、エジュノールを介して入手した書簡は、ナヴィルと妻ドゥニーズ、およびエジュノールの手紙を含め、1989年にようやく刊行された(著書参照)。
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