トロツキーとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 23:33 UTC 版)
「ピエール・ナヴィル」の記事における「トロツキーとの出会い」の解説
ナヴィルもまた、反スターリン主義の立場から共産党の方針に反する活動に参加するようになった。1927年に、早くも1935年にスターリンの伝記『スターリン - ボルシェヴィキ党概史』を発表したことで知られるボリス・スヴァーリン(フランス語版)に連絡を取って、彼が結成したマルクス・レーニン共産主義サークル(フランス語版)に参加し、『クラルテ』誌ではバルビュスの作品、特に『イエス・キリスト』を批判し、マルクス主義哲学を十分理解していないと論じたために共産党から批判された。同じ1927年の十月革命10周年の際に、ヴィクトル・セルジュ(フランス語版)に勧められ、共産党の反対を押し切ってジェラール・ローゼンタール(フランス語版)とともにフランス代表としてソビエト連邦を訪れた。このとき、トロツキーに出会い、彼に欧州で彼の活動を紹介し、左翼反対派(フランス語版)グループの結成を支援してほしいと言われた。このときに合同反対派のプレオブラジェンスキー、ジノヴィエフ、ラデックらにも会う機会を得た。さらに外国人代表団の会合に参加し、トロツキーを厳しく批判するブハーリンの演説を聞くことになった。さらに『クラルテ』代表としてルナチャルスキー主宰の作家会議に参加し、フランス文学の動向について報告。社会主義リアリズムが台頭しつつあったソ連で、芸術家の自由な創作活動を訴え、前衛芸術運動「レフ」を結成したマヤコフスキーに称賛された。また、セルジュの案内で街を歩いて市民生活の現状を観察し、反対派が開催した非合法の会合に出席するなど、帰国後の活動に備えた。
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