テキサスに移動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 01:49 UTC 版)
南北戦争中、アメリカ連合国はニュー・メキシコを侵略していた。1862年3月に、グロリエタの戦いのあいだ、連合国は補給の荷馬車を複数失い、サン・アントニオに退却せざるをえなかった。兄弟の金庫から金銭をとったのち、ビーンは退却軍に加わった。戦争の残った時間に、彼は綿をサンアントニオからマタモロス沖合のイギリス船に運んだり、必要品を載せて戻ったりすることによって、海上封鎖をおこなった。 つぎの20年間、ビーンはサン・アントニオ(San Antonio)に住み、名目上は連畜御者としてはたらく傍ら、彼は隣人の木材を伐りたおして、たきぎ業をいとなもうとした。彼は酪農業にも手を出そうとしたが、まもなくミルクを水でうすめている現場をおさえられた。ビーンはのちに、ほかの地域の牧場経営者から烙印を押されていない家畜を盗み、その家畜を使って肉屋を営んだ。 1866年10月28日に、彼は18歳のヴァージニア・チャベス(Virginia Chavez)と結婚した。結婚後1年もしないうちに彼は加重暴行(aggravated assault)と、妻を殺すぞとおどしたことで逮捕された。騒々しい結婚にもかかわらず、2人はあわせて4子をもうけた - ロイ・ジュニア(Roy Jr.)、ローラ(Laura)、スレマ(Zulema)、サム(Sam)。一家は「ビーンヴィルという極貧のメキシコ系のスラム」("a poverty-stricken Mexican slum area called Beanville")と言われるところに住んだ。ビーンヴィル(Beanville)は、ルーサー・バーバンク・ハイ・スクール(Luther Burbank High School)から遠くない、サウス・フロレス・ストリート(South Flores Street)とグレン・アヴェニュー(Glenn Avenue)のこんにちのかどの近くに集中している。 1870年代後半までに、ビーンヴィルでサルーンを経営していたビーンは、鉄道会社数社が鉄道を西に延ばそうとしているから多くの建設キャンプが開きつつあると聞いていた。ビーンヴィルの或る店舗所有者は、「この破廉恥な人物を近隣から追い出したいとつよく切望していたから」(was so anxious to have this unscrupulous character out of the neighborhood)、彼女は、ビーンの全財産を900ドルで買い、彼はサンアントニオを離れることができた。当時、ビーンはヴァージニアと別居していて、彼は西に行くにあたり、子らを友人らに預けた。
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