ツアー復帰後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 08:55 UTC 版)
2006年1月にオーストラリア・ゴールドコーストの「モンディアル・オーストラリア女子ハードコート選手権」で現役復帰を果たし、フラビア・ペンネッタとの準決勝まで勝ち進む。全豪オープンで4大大会にも復帰し、1回戦でロシアのベラ・ズボナレワに快勝して再出発を飾り、第2シードのキム・クライシュテルスとの準々決勝まで勝ち進んだ(スコア:クライシュテルスの 6-3, 2-6, 6-4)。同大会の混合ダブルスでは、ダブルスの名手であるマヘシュ・ブパシと組み、決勝でダニエル・ネスター&エレーナ・リホフツェワ組を 6-3, 6-3 で破って優勝した。2月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント(東京体育館開催)にも4年ぶりに出場し、準決勝でマリア・シャラポワを 6-3, 6-1 で圧倒したが、2月5日の決勝戦でエレーナ・デメンチェワに 2-6, 0-6 で敗れた。奇しくも、2002年10月のポルシェ・テニス・グランプリ2回戦で敗れた最後の対戦相手がこのデメンチェワであり、東京では雪辱を果たせなかったことになる。 3か月後の5月21日、イタリア・ローマで行われた「イタリア国際選手権」決勝でディナラ・サフィナを 6-2, 7-5 で破り、復帰5か月目で復活優勝を飾った。5年ぶりの復帰となった全仏オープンでは第12シードを得たが、準々決勝でクライシュテルスに 6-7, 1-6 で連敗した。その後はウィンブルドン3回戦で杉山愛に敗れ、全米オープンは2回戦で止まったが、8月下旬の「ロジャーズ・カップ」準優勝で世界ランキングトップ10にも復帰した。年末のWTAツアー選手権にも6年ぶりの出場を果たし、ヒンギスは世界ランキング「7位」の位置で2006年のシーズンを終えた。 2007年の全豪オープンでは、2年連続でクライシュテルスに準々決勝で敗れたが、東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントの決勝でアナ・イバノビッチを 6-4, 6-2 で破り、大会最多の5度目の優勝を遂げた。3月初頭にはカタール・ドーハ大会のダブルスでマリア・キリレンコとペアを組んで優勝し、復帰後のダブルス初優勝を果たした。 11月1日、ヒンギスはウィンブルドン3回戦敗退後の検査で、薬物のコカインに陽性反応を示したことを明らかにした。本人は薬物使用を否定したが、情熱の喪失を理由に、2度目の現役引退を表明した。体力勝負のパワーテニスが優勢な時代にあっても、彼女ならではの頭脳的なテニスを高い水準で披露してきたが、復帰から2年での引退表明となった。 コカイン陽性反応に対する処分として、国際テニス連盟(ITF)は2008年1月4日、ヒンギスに対し2年間の出場停止、2007年ウィンブルドン以降の大会はすべて失格扱いとし、世界ランキングのポイントと賞金6万5500ポンド(約1400万円)を没収すると発表した。
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