Zapfino
ツァッフィーノ (Zapfino)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 09:36 UTC 版)
「ヘルマン・ツァップ」の記事における「ツァッフィーノ (Zapfino)」の解説
1993年、ツァップは米国数学会 (American Mathematical Society) のためのタイプフェイス・AMSオイラー (AMS Euler) を、スタンフォード大学のドナルド・クヌース (Donald Kunth)、デビッド・シーゲル (David Siegel) と共に作り上げた。ドイツ文字とギリシャ文字を含む、数式のための書体であった。デビッド・シーゲルはスタンフォード大学を修了したばかりであり、タイポグラフィーの分野に興味を抱いていた。彼はツァップにさまざまな記号を取り入れた書体作りをしたいとアイデアを語り、ツァップがシカゴのタイポグラフィー学会の出版物向けに描いたカリグラフィーを参考にしたいと言った。 当時複雑なプログラムに没頭していたため、また新しい事に挑戦することを恐れるようになっていたため、ツァップは彼の考えを退けた。しかし、1944年のスケッチブックに描いていたカリグラフィーのページを思い出し、そこから書体を作ることができるかも知れないと考えるようになった。彼は1948年にステンペル社で筆記体活字作りに取り組んでいたが、金属活字ではスウォッシュ付きの文字を自由に表現できなかった。彼が望みは現代の電子技術でのみ実現できるものであり、ツァップとシーゲルは複雑なソフトフェアを学ぶこととなった。シーゲルはマサチューセッツ州ボストン出身のプログラマ、ジノ・リー (Gino Lee) をプロジェクトの補佐役として雇った。 不幸にも、プロジェクトが完成する直前、シーゲルはツァップに手紙を書き、ガールフレンドと別れて全ての意欲を失ったと伝えた。シーゲルはプロジェクトを捨てて新しい人生を歩み出し、Macintoshのカラー化に参画し、後にウェブデザインの専門家となる。 Zapfinoの開発はひどく遅れてしまい、ツァップはライノタイプ社にプレゼンテーションをするのに気後れしてしまうほどであった。チームはプロジェクトの再編成と完成を急いだ。ツァップはライノタイプ社の協力を得て四つのアルファベット、沢山の装飾記号や絵記号を創り出した。こうして、ツァッフィーノは1998年に発売された。 後の版のZaphinoにはAAT (Apple Advanced Typography) とOpenType の技術が利用され、合字を自動で選択したり、装飾文字の自動置換(特に、文脈や代用装飾文字を付近の他の装飾文字や単語などから推測する「文脈上の置換」と呼ばれるもの)をしたりと、ツァップのカリグラフィーの流動性と力強さをより正確に表現できるようになっている。
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