タンズィマート改革
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1839年11月3日、皇帝に即位間もないアブデュルメジト1世は父であったマフムト2世の方針を受け継ぎ、「ギュルハネ勅令」を発布しタンズィマート改革を始動させた。この上からの改革は、全臣民の生命と名誉と財産の保障と、やや不明確ながら宗教に関わらない臣民の平等とを謳っており、さらに進んで1856年の「改革の勅令」においては、ギュルハネ勅令の内容に加え、宗派間、言語話者間、ないし民族間の差別的意味を持つ用語(具体的には非ムスリムを差す「不信の徒」)を全ての公文書から取り除くことが宣言された。 オスマン主義に関わる具体的な政策としては、以下のものが挙げられる。 ムスリム・非ムスリムが共に参加した高等法制審議会 ムスリム・非ムスリム共学のフランス語教育を行う学校「リセ」の設置 フランス1810年刑法のトルコ語訳を基本とした新刑法の制定 地方議会の設置と非ムスリムの参加 信教の自由及び改宗の自由の保障 一連の改革には「新オスマン人」と呼ばれる人々が関わっていた(後述)。
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