スペイン・オランダ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 15:11 UTC 版)
16世紀の新航路発見以降、ヨーロッパ諸国は貿易による利益を求めアジア方面に進出し、その中で台湾にも進出してきた。オランダとスペインはそれぞれ台湾に上陸しオランダは南部、スペインは北部を中心に植民地統治を開始する。両国はその統治を強化すべく港湾と城砦を建設、スペインは1626年に現在の基隆和平島にサン・サルバドル城(聖薩爾瓦多城)を建設、1628年には淡水にサント・ドミンゴ城を建設し、後者が今日の紅毛城の前身となった。 スペイン人は淡水を淡水河水運統治の中心とした。1632年、スペイン人は台北盆地に進出、淡水河沿岸の原住民を服従させ、淡水から基隆までの道路(現在の陽金公路に相当)を建設、水運以外の交通を整備しその勢力を新竹一帯まで拡大させた。 1642年、オランダ勢力はスペイン人がフィリピン、ルソンでの混乱で台湾経営に集中できない状況を利用し北部に進出、紅毛城は無血開城しスペイン勢力が台湾より駆逐されることとなった。台湾北部に進出したオランダ人は1644年春より台南より資材・人材を投入しサント・ドミンゴ城を改築、1646年に完成しアントニー要塞(安東尼堡)と命名した。漢人はオランダ人を「紅毛」または「紅夷」と称していたことより一般に「紅毛城」と称されるようになり現在に至っている。現存する紅毛城の大部分はこの時建築されたものである。
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