サイクスピコ‐きょうてい〔‐ケフテイ〕【サイクスピコ協定】
読み方:さいくすぴこきょうてい
《Sykes-Picot Agreement》第一次大戦中の1916年に英国・フランス・ロシアが締結した、戦後のオスマン帝国の領土分割に関する秘密協定。名称は、原案を作成した英国の中東専門家マーク=サイクス(Mark Sykes)と、フランスの外交官フランソワ=ジョルジュ=ピコ(François Georges-Picot)に由来。→フサインマクマホン協定 →バルフォア宣言
[補説] 旧オスマン帝国領のうち、現在のイラク南部・クウェート・サウジアラビア東部・ヨルダンにあたる地域をイギリスが、シリア・レバノン・イラク北部などをフランスが、黒海沿岸などをロシアが勢力圏とすると約束しあった。パレスチナは英仏共同統治とされた。
サイクス・ピコ協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 04:17 UTC 版)
サイクス・ピコ協定(サイクス・ピコきょうてい、英: Sykes-Picot Agreement、仏: Accords Sykes-Picot、露: Соглашение Сайкса — Пико)は、第一次世界大戦中の1916年5月16日にイギリス、フランス、ロシア帝国の間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定。イギリスの中東専門家マーク・サイクス (Mark Sykes) とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコ(François Marie Denis Georges-Picot)によって原案が作成され、この名がついた。
- ^ Samia Nakhoul (2014年8月14日). “焦点:勢力拡大するイスラム国、中東の「新秩序」を形成か”. Reuters 2014年8月14日閲覧。
- 1 サイクス・ピコ協定とは
- 2 サイクス・ピコ協定の概要
- 3 概要
- 4 その他
サイクス・ピコ協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 00:12 UTC 版)
イギリス、フランス、ロシアの間で結ばれた秘密協定。イギリスの中東専門家マーク・サイクス(英語版)とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコによって原案が作成された。 オスマン帝国の領土を以下のように規定していた。 シリア、アナトリア南部、イラクのモスル地区をフランスの勢力範囲 シリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)をイギリスの勢力範囲 (狭義の)パレスチナを国際管理下 イギリスは事実上の同盟国で大国であるフランスの利益を重んじることを目的としていた。しかしケマル・アタチュルクによってトルコ共和国が新しく建てられたため、南のイギリス勢力圏との間に押し込まれた格好となり、結果としてフランスは大きな負担を強いられたうえに、パレスチナとの国境未画定問題も生じて、1930年代までしばしば国境付近で小規模な戦闘が発生している。 1917年にロシア革命が起こると、同年11月に革命政府によって旧ロシア帝国のサイクス・ピコ協定の秘密外交が明らかにされた。
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