ゴールコンダ城塞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 22:06 UTC 版)
「ハイデラバード (インド)」の記事における「ゴールコンダ城塞」の解説
前王朝により1143年に建てられた泥の砦は、その後ゴールコンダ王国のイブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャーおよびその息子ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーの治世62年間に城へと強化、拡充された。 城は、高さは122 mの孤立した花崗岩の丘の上に、今も壮麗にそびえ建っている。城外郭は丘に沿うように、そして城を囲む外壁は、いびつな菱形状に設計されている。頑丈な銃眼を持つ最外壁は、外周囲7 km近くにも及び、さらに周囲に深い堀を持ち、高さが15 - 18mもある87の半円形稜堡(ブルジ)、8つの巨大な門を有する。 陶器製パイプを利用した給水システムが、城内に存在したことが明らかになっている。このシステムにより飲料水は勿論のこと、いくつかの噴水も城内に作られていた。さらに、この城はユニークな通信システムを持っている。正面玄関のアーチの下で手を打つと、アーチの反響効果により30 - 40 m以上離れたバーラー・ヒサールや、別の地点へその音が明瞭に伝わる。 また、王の謁見バルコニーには、特殊な視覚効果が施されていたと伝えられている。この仕掛けにより、別の場所にいる王の幻影を謁見バルコニー上に映し出し、万が一の刺客の攻撃から王を守ったと言われる。 ゴールコンダ城は、巨大な花崗岩の3重壁で取り囲まれている。最外壁は小砦を一つ持ち、小丘上を取り囲む設計である。2番目の壁は丘の麓に沿って、3番目は巨石群を取りこんで、丘の斜面に建設されている。外壁の厚さは5 - 10 mで、巨大な花崗岩ブロック製である。北東の角には、ペトラ・ブルジ(城の一角から突き出ていて、その両側の長大な外壁を一望できる「大腹稜堡」)があり、ファテヒー・ラーフバル砲が据え付けられている。 北東にある別の稜堡は、9つの丸突起がある波打った面を持っているので、「9つの丸突起の稜堡」と呼ばれている。他にも2つの稜堡が有名である。一つは城の南方にあるムーサー・ブルジである。この稜堡は、当時ムガル帝国王子だったアウラングゼーブ率いる1656年のムガル帝国第二次遠征軍を防ぐために、アブドゥッラー・クトゥブ・シャーの将軍だったムーサー・ハーンによって設計され、建築家のダーマチャールによって増設されたものである。 もう一つは、今日もはや存在しないカーガズィー(紙)・ブルジである。その呼び名の由来は、1687年のムガル帝国第3次遠征軍の攻城砲撃で集中的被害を受けた部分を、ゴールコンダ王国守備軍の絵描きと職人達が、一夜で紙と布の完璧なハッタリ稜堡として作り上げたことによる。その一日後にゴールコンダ城は陥落した。これらの稜堡の記述は、テルグ語の碑文や、王達の事業記録中にも見ることができる。
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