コレクションの歴史
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「ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー」の記事における「コレクションの歴史」の解説
ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーのコレクションの基礎となったのは、ロンドンで画商として成功していたスイス系イギリス人画家フランシス・ブルジョワ (en:Francis Bourgeois) と、共同経営者のフランス人ノエル・デザンファンが収集した絵画である。1790年にポーランド・リトアニア共和国国王スタニスワフ2世アウグストからの依頼により収集を開始したコレクションで、ポーランド王室の美術品の充実とポーランドにおける美術の発展を目的としたものだった。ブルジョワとデザンファンは5年をかけてヨーロッパ中を回り絵画を集めたが、1795年に第3次ポーランド分割が行われ、ポーランド・リトアニア共和国自体が消滅してしまい、引き取り手がいなくなってしまった。 そのためブルジョワとデザンファンは他国へこのコレクションをまとめて売却しようと試みたがうまくいかず、重要な作品の追加購入資金として数点の絵画を売却するに止めて、コレクション自体はロンドンで保管することとした。1807年にデザンファンが死去し、ブルジョワは大英博物館に対して自身が死去したらこのコレクションを遺贈したいと持ちかけたが、博物館側の役員たちの問題でこの話も流れてしまった。1811年にブルジョワが死去した際にコレクションはダリッジ・カレッジに遺贈され、ブルジョワの遺言の条件に従ってコレクションを収容するダリッジ・ピクチャー・ギャラリーが設立されることとなった。 ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーのコレクションに重要な作品が最初に追加されたのは1835年のことだった。トーマス・リンリー (en:Thomas Linley the elder) に始まる音楽家、役者の一族リンリー家で、トーマスの最後の孫となったウィリアム・リンリー (en:William Linley) が1835年に死去し、一族の肖像画をダリッジ・ピクチャー・ギャラリーに遺贈したことがそれである。 1966年12月31日には8点の絵画がダリッジ・ピクチャー・ギャラリーから盗まれた。盗難に遭ったのはいずれもバロック期の画家の作品で、オランダ人画家レンブラントの絵画3点、フランドル人画家ルーベンスの絵画3点、オランダ人画家ヘラルト・ドウ、ドイツ人画家アダム・エルスハイマーの絵画それぞれ1点である。これらの絵画の総額は当時の資産価値で450万ポンドといわれたが、報奨金としてかけられたのはわずか1,000ポンドに過ぎなかった。しかしながら、チャールズ・ヒューイット警視が指揮した捜査で数日後にはこれらの絵画は無事に発見されている。複数犯の中で失業中の救急車運転手マイケル・ホール一人だけが逮捕され、禁錮5年の判決を言い渡されて服役した。 レンブラントの初期の小さな肖像画『ヤコブ・デ・ヘイデン三世の肖像』は、直近に盗まれた1983年を含めて4回の盗難に遭ってそのたびに取り戻されており、「世界でもっとも盗難に遭った美術品」としてギネス世界記録に登録されている。取り戻された経緯や場所も様々で、西ドイツの手荷物一時預かり所、匿名の密告、自転車の荷台、ストリータム近くの墓地のベンチだった。現在の『ヤコブ・デ・ヘイデン三世の肖像』は、強固なセキュリティシステムによって厳重に守られている。
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