コレクションの行方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 07:38 UTC 版)
「松方コレクション」の記事における「コレクションの行方」の解説
松方は共楽美術館という美術館を設立する構想を持っており、ブラングィンが設計図を作成していた(ブラングィンが描いた共楽美術館の構想図は現在、国立西洋美術館が所蔵している)。しかし、1927年に世界恐慌の影響で川崎造船所の経営が破綻し、負債整理のため松方も私財を提供せざるを得なくなった。そのため、日本にあったコレクションは十五銀行、藤木ビル等の担保となり、売立てにより西洋美術1000点以上が散逸してしまった(その一部が現在、ブリヂストン美術館(現在のアーティゾン美術館)、大原美術館に収蔵されている)。浮世絵のコレクション約8000点は、昭和13年(1938年)に皇室へ献上され、昭和18年(1943年)に帝室博物館(現在の東京国立博物館)へ移管された。 一方、日本国外で保管していたコレクションは散逸を免れたが、1924年に実施された10割関税(関東大震災の復興資金のため、買値の10割の関税、つまり買値と同額の税金がかかった)が日本移送の障害となった。昭和初期に軍国主義、国粋主義的風潮が強まる中で、西洋美術のコレクションは軍部に悪印象を与えるのを恐れたこと等もあって、そのまま日本国外に保管されていた。 ロンドンで保管されていたコレクション(約900点と推測されている)は1939年に火災で焼失してしまった。パリにあった400点以上のコレクションはロダン美術館に預けられていたが(428点との説がある)、第二次世界大戦のナチス・ドイツのフランス侵攻により、元大日本帝国海軍大尉の日置釭三郎の尽力によりパリ近郊のアボンダンに疎開させられた。ナチス・ドイツによる略奪は免れたものの、ナチス・ドイツと同盟して枢軸国であった日本は、本国を奪還したフランスにとって敵国かつ敗戦国となったため、在仏の松方コレクションは敵国財産としてフランス政府に接収されてしまった[要出典]。 松方は1950年に死去するが、孫の松本健の回想によると、晩年はフランスからの返還に備えて受け取りサインを書く練習をしていたという[要出典]。
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