ケンタッキー・カーネルズ
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ケンタッキー・カーネルズ(Kentucky Colonels)は、アメリカ合衆国に存在したABAのバスケットボールチームである。
- 1 ケンタッキー・カーネルズとは
- 2 ケンタッキー・カーネルズの概要
ケンタッキー・カーネルズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 07:56 UTC 版)
「ダン・イッセル」の記事における「ケンタッキー・カーネルズ」の解説
大学卒業後の1970年、地元ケンタッキー州のルイビルに本拠地を置くプロリーグABAのチーム、ケンタッキー・カーネルズに1巡目指名を受けて入団(同時にNBAのデトロイト・ピストンズからも1970年のNBAドラフトで8巡目122位指名を受けている)。イッセルは1年目からリーグを代表するセンターとして活躍。平均29.9得点13.2リバウンドをあげて得点王に輝くと共にチャーリー・スコットと新人王を共同受賞、オールABA2ndチーム、オールスターゲームにも選ばれた。チーム成績は44勝40敗と平凡なものだったが、プレーオフでは勝ち抜き、チーム史上初のファイナル進出を果たしている(ユタ・スターズの前に2勝4敗で敗退)。2年目の1971-72シーズンには平均30.6得点(リーグ3位)11.2リバウンドをあげてシーズン通算2,538得点はABA記録となり、オールABA1stチームに選出。オールスターゲームでは21得点9リバウンドをあげてオールスターMVPを受賞している。またこの年に新人アーティス・ギルモアがカーネルズに入団。218cmのギルモアの加入でイッセルはパワーフォワードにコンバートされ、イッセルとギルモアという強力なインサイドコンビが完成し、カーネルズはリーグを席巻。このシーズンにカーネルズが記録した68勝16敗はABA史上最高勝率となり、ギルモアは前年のイッセルに続いて新人王を受賞した。リーグ屈指の強豪となったカーネルズだがプレーオフでは結果が残せず、68勝をあげた1971-72シーズンは1回戦でリック・バリー率いるニューヨーク・ネッツの前にまさかの敗退、56勝をあげた1972-73シーズンは2度目のファイナル進出を果たすが、今度はジョージ・マクギニス率いるインディアナ・ペイサーズの前に3勝4敗で敗れている。イッセルはよりチームメートと得点機会を分け合うスタイルに変化していったため平均30.6得点をあげた1971-72シーズンを頂点に個人成績に低下が見られるも、オールスターやオールABAチームには毎年選出され続ける、依然としてリーグ有数のビッグマンだった。1974-75シーズンには初の平均20得点割れとなる17.7得点8.6リバウンドとなったが、カーネルズは58勝26敗と好成績を維持し続け、そしてプレーオフでは3度目となるファイナルに進出。インディアナ・ペイサーズに雪辱して4勝1敗でファイナルを制し、初優勝を果たした。1975-76シーズンを前にイッセルはトム・オーエンズとの交換でボルティモア・クロウズにトレードされるが、クロウズは新シーズンを前にして解散・消滅してしまったため、イッセルはさらにデンバー・ナゲッツに移籍して新シーズンを迎えた。
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ケンタッキー・カーネルズ
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「クラレンス・ホワイト」の記事における「ケンタッキー・カーネルズ」の解説
1944年、メイン州ルイストンでフランス系カナダ人の両親のもとに生まれる。一流のブルーグラスミュージシャンであった父の影響で一家は音楽に囲まれており、クラレンスも幼少の頃からウクレレやバンジョーに親しみ、8歳ごろにギターを始める。1954年に一家はカルフォルニアに親戚を頼って移住し、現地でクラレンスは兄のローランド・ホワイト(英語版)やエリックと共にブルーグラスバンド「スリー・リトル・カントリー・ボーイズ」 (Three Little Country Boys) を結成し、演奏活動を始める。 1962年にバンド名を「ケンタッキー・カーネルズ」に改め、ファースト・アルバムを録音する。この頃には、ブルーグラス奏者としてのギタースタイルはほぼ完成されていた。その後2、3年の間、ケンタッキーカーネルズは精力的に活動する。1964年にはアルバム『アパラチアン・スウィング』 (Appalachian Swing) を発表するが、正統派のブルーグラス音楽は次第に時代遅れとなり、業績不振のためにグループは1966年に解散した。
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