クラシック三冠の惜敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:29 UTC 版)
「メジロライアン」の記事における「クラシック三冠の惜敗」の解説
4月15日、皐月賞(GI)に出走。アイネスフウジンが4.1倍の1番人気に支持され、メジロライアンはそれに次ぐ5.0倍の2番人気、5.6倍の3番人気には5連勝中のハクタイセイが続いた。スタートから後方内側に待機。一方、戦前に逃げ宣言していたアイネスフウジンは、不利を受けて逃げることができず2番手に位置した。直線では要所で進路を失う不利を受け、大外に持ち出してから末脚を繰り出した。追い込んだものの、先行するアイネスフウジン、好位のハクタイセイには敵わず、それらに1馬身4分の3遅れた3着。この敗戦について、勝利したハクタイセイ陣営の布施正調教師は、次戦の東京優駿について「(前略)ライバル? 今度はアイネスフウジンも怖いけど、それ以上にメジロライアンが強敵になるんじゃないですか。」と展望している。 続く5月27日の東京優駿(日本ダービー)(GI)では、当日は東京優駿史上最多入場者数の19万6517人が集まり、東京優駿1競走の史上最多売上となる397億3151万3500円が投じられる中、単勝オッズ3.5倍の1番人気。皐月賞で先着されたハクタイセイが3.9倍の2番人気、アイネスフウジンが5.3倍の3番人気と続いた。スタートからハクタイセイが先手を取るも、アイネスフウジンが逃げ、メジロライアンは中団に位置。アイネスフウジンがミドルペースで逃げる中、メジロライアンは第3コーナーから外に持ち出して追い上げを開始した。直線では単騎で逃げるアイネスフウジンに、末脚でもって迫ったが、1馬身4分の1及ばず2着。オーナーブリーダーのメジロ系列としては4度目の東京優駿2着となり、横山は「北野のおばあちゃんに申し訳なかった」と語っている。(競走についての詳細は、第57回東京優駿を参照。) その後は夏休みとなり、8月の函館記念から始動を予定して函館競馬場に入厩したが、調整中に脚を捻って出走を回避。10月14日、菊花賞のトライアル競走である京都新聞杯(GII)で始動、単勝オッズ2.7倍の1番人気に推された。スタートから中団に位置し、大外から末脚を発揮して「余力すら感じさせる手応え」(永井春二)で差し切って優勝、重賞2勝目を挙げた。2分12秒3で走破し、重馬場ながらコースレコードを更新した。 続いて11月4日の菊花賞(GI)に出走。皐月賞、東京優駿で先着されたハクタイセイ、アイネスフウジンはともに故障により戦線離脱しており、メジロライアンが菊花賞の最有力馬と捉えられて、当日は単枠指定制度が適用。加えて、単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。スタートから後方に位置、1周目の直線で中団の後方に位置を上げた。2周目は中団の外に持ち出して、追い上げを開始。直線では先に抜け出していた4番人気のメジロマックイーンを目指して、外から追い込んだが、差し切るには至らず。メジロマックイーンに突き放され、2馬身半以上離された3着。奥平によれば、競走前の調教でメジロライアンが、当時格下だったメジロマックイーンに先着することができなかったことから「菊花賞で負けるとすれば(メジロ)マックイーンだろう」と予感していたという。 クラシック三冠競走では、すべて3着以内となり、かつ無冠。これは、1964年の皐月賞3着、東京優駿2着、菊花賞2着となったウメノチカラ(シンザンが三冠を達成)以来の出来事であった。
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