オーベルシュタインの草刈り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:18 UTC 版)
「銀河英雄伝説の戦役」の記事における「オーベルシュタインの草刈り」の解説
宇宙暦801年/新帝国暦3年3月21日~5月20日。第11次イゼルローン攻防戦での敗退や新領土で発生している混乱に対して、帝国は2月18日に皇帝親征を行う事を発表した。だが翌19日になってラインハルトが高熱を発し、3日間も下がらないという状態になったため、親征は延期され、その代わりに軍務尚書のオーベルシュタインが全権代理として派遣された。 3月20日にハイネセンに到着したオーベルシュタインは、翌日から直属の陸戦部隊を使って「危険人物」とされる旧同盟の要人を始めとして五千人以上を連行/収監し、4月10日、イゼルローン共和政府及び軍に対して、彼らの解放を欲するのならハイネセンに出頭せよと通達した。 これに先立つ4月1日、オーベルシュタインに同行していたビッテンフェルトとミュラー、及びガンダルヴァ星域から到着していたワーレンが、その方法を良しとせずオーベルシュタインに談判を持ちかけたが、論争の過程でオーベルシュタインが帝国の実戦部隊に対する誹謗(言われた側はそう受けとった)を口にしたため、ビッテンフェルトがオーベルシュタインにつかみかかるという事態が発生した。ビッテンフェルトは謹慎を命じられ、ミュラーとワーレンも退去を命じられた。4月4日、この経緯がラインハルトに知らされ、ラインハルトはヒルダと相談の上、延期になっていた皇帝親征を行う事を決めた。なお、ビッテンフェルトの処分に対する黒色槍騎兵艦隊の反発は大きく、4月6日にはダウンディング街において黒色槍騎兵艦隊の兵士がオーベルシュタイン指揮下の憲兵隊と乱闘に発展。乱闘は発生わずか30分で1個分隊規模から1個連隊規模へ拡大し双方に多数の重軽傷者を出した挙句、最終的には双方ともバリケードを挟んで互いに銃を向けあう騒ぎとなり、ワーレンやミュラーがこの事態の解決に奔走することとなった。 イゼルローン側は議論の末、政府代表のフレデリカと軍代表のユリアン、及び軍幹部のシェーンコップやアッテンボローがハイネセンに向かう事になった、また「佐官は残れ」というシェーンコップの提案をリンツやスールは不承不承ながら受諾したが、ポプランは無視して強引に同行した。なお、キャゼルヌは、名目上は留守のイゼルローン要塞を管理運営する責任から(ただし本当は家族がいるため)、メルカッツはユリアンの懇請によって艦隊運用のために残留した。 4月16日、旧同盟要人を収監したラグプール刑務所での暴動をきっかけにハイネセン各所でテロ事件が発生、騒乱状態となる。4月17日、乗艦のユリシーズ及び護衛部隊が回廊を出て帝国の哨戒域に入った時点でハイネセンの状況が届き、彼らは様子を見るため一旦引き上げる事となった。しかし18日、随行する巡航艦の故障がきっかけとなり、百隻ほどの帝国艦隊に追撃される事態が生じた。アッテンボローの艦隊運用によって回廊に逃げ込む事に成功し、さらにメルカッツの救援によって回廊内で安全を確保したが、ユリアンは今後の展開を見越してフレデリカのみをイゼルローン要塞に戻し、そのまま回廊の出口付近に艦隊を展開させた。 一方、騒乱事件の報はハイネセンに向かっているラインハルトにもたらされ、ラインハルトはオーベルシュタインの不手際を責めた。オーベルシュタインはその叱咤を受けながらも、4月29日にはルビンスキーを逮捕している。5月2日、ハイネセンに到着したラインハルトは、御前会議の席でビッテンフェルトによる謝罪と告発を処理した後、収監していた者たちを5月20日に解放する事を公表し、同時に、改めてイゼルローン共和政府に対して出頭を呼びかけた。これによってラインハルトは旧同盟人民より賞賛を受け、オーベルシュタインへの反感はラインハルトへの好感へと変わった。そして政治的に不利になった事を悟ったユリアンは出頭する事を考え始めていたが、実行する前にシヴァ星域会戦が発生した。
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オーベルシュタインの草刈り
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「パウル・フォン・オーベルシュタイン」の記事における「オーベルシュタインの草刈り」の解説
旧同盟領の要人を政治犯・思想犯として逮捕・拘禁することで人質とし、ユリアン率いるイゼルローン革命軍が出頭命令に応じざるを得ない状況に追い込む。この目論見はその後のラグプール刑務所での暴動で多くの政治犯が死傷したことで失敗したが、ユリアンはその後のラインハルトの恩赦により皇帝への好意的評価を得ることまで目的だったのではないかと推察している。
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