オーベラー・フュルステンブルンネン
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「ハイデルベルク城」の記事における「オーベラー・フュルステンブルンネン」の解説
オーベラー・フュルステンブルンネン(Oberer Fürstenbrunnen、上の選帝侯の泉)は選帝侯カール3世フィリップによって上屋が設けられた。この泉の建物の戸の上部には彼のモノグラムと1738年の年号が彫り込まれている。階段室出口の右側には次のように記されている。 [DlreCtione] ALeXanDro Blblena CVra et opera HenrICl Neeb Fons hIC PrInCIpaLIs reparat(Vs) PVrIor sCatVrlt (この仕事はアレッサンドロ・ガリ・ダ・ビビーナとハインリヒ・ネープの監督下でなされた。) この銘文はクロノグラム(ローマ数字に当たる文字を大文字に、その合計で特定の年号を示すもの)であり、「1741」を示している。この泉とウンテーレ・フュルステンブルンネン(Unterer Fürstenbrunnen、下の選帝侯の泉)は19世紀までマンハイムの選帝侯宮廷の水不足解消に利用されていた。ヨハン・アンドレアス・フォン・トライットイアは1798年に水の輸送について書いている。 衛生的で美味しい水が不足していたため、マンハイムの宮廷は長い間、必要な水を毎日運んでいた。周知の通り、宮廷は特別な装備を設えた水輸送車を毎日ハイデルベルクへ遣わして、その城内の選帝侯の泉から水を入手していたのだ。— ハンス・ヴェッケサー『愛しの水道塔』 マンハイムの水は質が悪く、ハイデルベルクからマンハイムへの水輸送は上品な宮廷人の家族に適した方法であり、彼らはこれに出資してもいた。選帝侯の宮廷は1777年まで「ハイデルベルク・ヴァッサーフュラー」(ハイデルベルクの水補充官)という職員を置いていた。
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