イーリング・ブロードウェイ、1911年 - 1920年
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「セントラル・ロンドン鉄道」の記事における「イーリング・ブロードウェイ、1911年 - 1920年」の解説
セントラル・ロンドン鉄道の次なる延長計画は、西側のイーリングへであった。1905年にグレート・ウェスタン鉄道が、自社の本線のイーリング・ブロードウェイ駅からシェパーズ・ブッシュ駅の北側のウェスト・ロンドン鉄道の間を結ぶ、イーリング・アンド・シェパーズ・ブッシュ鉄道の建設許可を得ていた。イーリングからは、新線は北東へ曲がり当時まだ閑散としていたノース・アクトンを通って、そこから東へ短い区間をグレート・ウェスタン鉄道のハイ・ウィカム線と並行し、そこから南東へ曲がる。オールド・オーク・コモンとワームウッド・スクラブズの南側で築堤の上を走って、セントラル・ロンドン鉄道の車両基地の北側近いところにあるウェスト・ロンドン鉄道へ合流することになっていた。 建設工事はすぐには始まらず、1911年にセントラル・ロンドン鉄道とグレート・ウェスタン鉄道では、イーリング・ブロードウェイまでの路線にセントラル・ロンドン鉄道が列車を走らせることに合意した。イーリング・アンド・シェパーズ・ブッシュ鉄道への接続のために、セントラル・ロンドン鉄道はウッド・レーン駅から北へ短距離の延長許可を1911年8月18日に1911年セントラル・ロンドン鉄道法として取得した。イーリング・アンド・シェパーズ・ブッシュ鉄道はグレート・ウェスタン鉄道により建設され、1917年4月16日に蒸気機関車牽引の貨物専用線として開業した。この路線の電化とセントラル・ロンドン鉄道の列車の運行開始は第一次世界大戦後まで延期となり、1920年8月3日にイースト・アクトン駅ただ1か所のみを中間駅として開業した。 ウッド・レーン駅は、イーリング・アンド・シェパーズ・ブッシュ鉄道との接続用の線路を建設するために改造された。ループ線上に存在した既存のプラットホームは残され、ロンドン中心市街方面へ折り返す列車が引き続き使用した。イーリング方面と結んで走る列車のために、ループの両側につながる新線に低い位置で2本の新しいプラットホームが建設された。イーリング・ブロードウェイ駅も改造され、既存のグレート・ウェスタン鉄道用とメトロポリタン・ディストリクト鉄道用のプラットホームの間にセントラル・ロンドン鉄道用のプラットホームが追加された。 この6.97キロメートルの延長路線の営業用に、ブラッシュに制御電動車を24両追加発注したが、1917年に納入されると最初はベーカー・ストリート・アンド・ウォータールー鉄道がワトフォード・ジャンクションへの延長路線用に借り受けた。この新型車両はチューブサイズの車両としては初めて乗降用デッキを廃して全体が車内となり、側面に折り曲げたドアが取り付けられて、乗降を素早くできるようになった。この新型車両の営業用に、セントラル・ロンドン鉄道では既存の48両も改造し、合計72両を6両編成12本とした。ワトフォード延長線で使われている間に改造されたために新型車両は他のセントラル・ロンドン鉄道の車両とは互換性がなくなり、イーリング車両 (Ealing stock) と呼ばれるようになった。 イーリング・アンド・シェパーズ・ブッシュ鉄道は1948年初めの国有化までグレート・ウェスタン鉄道の一部であり、イーリング・ブロードウェイ駅以外は国有化に際してロンドン・トランスポート経営委員会(英語版)に移管された。イーリング・ブロードウェイ駅は、グレート・ウェスタン鉄道の後継であるイギリス国鉄の所管となった。
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