イベント消滅
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「PRIDE (格闘技イベント)」の記事における「イベント消滅」の解説
2007年3月27日、東京・六本木ヒルズアリーナで記者会見が行われ、DSEはアメリカの総合格闘技イベントUFCおよび同イベントを主催するズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータに興行権を譲渡するとともに、本社を米・デラウェア州に置く新会社「PRIDE FC WORLDWIDE (Pride FC Worldwide Holdings, LLC)」の設立が発表された。4月8日の「PRIDE.34」がDSE体制として最後の興行となった。だが、2007年5月に開催予定だったライト級グランプリは準備不足のため夏に延期になるなど、新体制発足後は興行開催の目途が全く立たない先行き不透明の状態が続いた。そのため提携先のUFCやDEEP、さらに最大のライバル団体であったHERO'Sへと選手が流出した。また、2007年4月17日にDSEが開いた臨時株主総会で法人解散を決議したことが官報に公示された。 2007年10月4日、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所の解散と運営スタッフの解雇がなされたことが報じられ、PRIDEは事実上消滅した。これについてPRIDE FC WORLDWIDE側は、事務所の解散およびスタッフの解雇は日本でのイベント開催が不可能になったことに起因するもので、それらは旧DSEの元役員の協力不足によるものであるとする声明を発表した。 その後もPRIDEの各権利はPRIDE FC WORLDWIDEが保持しているが、2008年2月にアメリカでPRIDE FC WORLDWIDEと関連会社が榊原信行らを相手取り協力不足や情報開示がされなかったこと等を理由に、これまでに支払われた金銭の返還とPRIDEを維持する義務の免除を求める訴訟を起こした。これに対して、榊原側はPRIDEの興行継続を断念したことは契約違反だとして、フェティータ兄弟とPRIDE FC WORLDWIDEを同年4月に訴えている。 PRIDEの消滅に伴い、ここを主戦場としていた選手らの多くは各所に流出していった。2008年度前半期には、UFCへと流出した元PRIDE選手らが、UFCのヘビー級からミドル級までの3階級を全て制覇し、UFC王者の過半数を元PRIDE選手が占めるという事態が起こった。(2007~8年頃、ヘビー級暫定王者:アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ライトヘビー級王者:クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン、ミドル級王者:アンデウソン・シウバ) 2007年9月8日、UFC 75で、PRIDEミドル級王座を保持したままUFCに移籍したダン・ヘンダーソンと、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンの持つUFC世界ライトヘビー級王座との統一が行われ、ミドル級王座が消滅した。
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