アルゼンチン軍の侵攻準備とイギリス側の対応とは? わかりやすく解説

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アルゼンチン軍の侵攻準備とイギリス側の対応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 10:32 UTC 版)

フォークランド諸島侵攻」の記事における「アルゼンチン軍の侵攻準備とイギリス側の対応」の解説

1982年3月下旬頃よりアルゼンチン海軍動き活発化し、ウルグアイ海軍との軍事演習称して空母駆逐艦フリゲート艦潜水艦輸送艦などの移動開始空母ベインティシンコ・デ・マジョ」を旗艦とした第79機動艦隊陸軍4000名の将兵載せフォークランド諸島出撃させる。 イギリス側はこのアルゼンチン側の動き諜報部などの活動によって察知していたが、その艦隊明確な動き情報当時イギリス首相マーガレット・サッチャー首脳部伝えられはじめたのは3月29日のことであり、アルゼンチン艦隊明確な侵攻を行うとの情報入手したのは同31日のことだった。サッチャー同日夕方に関係閣僚招集行い機動艦隊派遣検討始めとともにアメリカ大統領ロナルド・レーガンアルゼンチン説得依頼電報行ったレーガンが翌4月1日夜に行ったガルチェリとの電話会談による説得失敗し外交による戦争阻止不可能な所に来ていた。 3月31日朝、フォークランド諸島の島都ポート・スタンリー民政庁に駐在していたイギリス民政官のレックス・ハント(英語版総督元にイギリス本国から「アルゼンチン軍潜水艦付近航行中」という情報もたらされ、同諸島の在海兵隊部隊による沿岸への監視強化するが、彼らはこの時点アルゼンチン軍本格的な軍事侵攻を行うとは考えておらず、アルゼンチン側のパフォーマンスであるという考え持っていた。イギリス本国からハント総督元にアルゼンチン軍艦隊出撃本格的な侵攻可能性伝えられたのは翌、1日午後アルゼンチン軍フォークランド諸島上陸作戦開始するまでわずか6時間前のことであり、この時点イギリス側フォークランド諸島における総戦力イギリス海兵隊隊員79名と数十名の海軍水兵過ぎず戦闘機装甲車両などもなく、艦船流氷哨戒艇程度しかなかった。 ハント総督らは侵攻可能性伝えられてから即座に機密書類処分暗号機破壊行いポート・スタンリー空港閉鎖。更にフォークランド諸島内の在留アルゼンチン人17名を逮捕拘留した。島都同日夜8時ごろにはフォークランド諸島ラジオ通してハント総督自らが非常事態宣言民政庁において徹底抗戦する旨を島民伝えた

※この「アルゼンチン軍の侵攻準備とイギリス側の対応」の解説は、「フォークランド諸島侵攻」の解説の一部です。
「アルゼンチン軍の侵攻準備とイギリス側の対応」を含む「フォークランド諸島侵攻」の記事については、「フォークランド諸島侵攻」の概要を参照ください。

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