アテナイ黄金期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 15:30 UTC 版)
紀元前5世紀から裁判や政治の場で用いるための弁論術が発達し、ソフィストが各地を旅行してその技法を有償で講義した。アテナイのソクラテスも同時代人からはこのようなソフィストの一人とみなされたようである。一方当時のアテナイでは演劇が発達し、三大悲劇詩人、また喜劇作家アリストパネスらが出て、アッティカ地方で文芸が発展した。 ソクラテスの弟子プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)はこのような思潮に反発し、ソフィストと異なる知のあり方、愛智(φιλοσοφια、ピロソピアー)を説くとともに、教育に用いる詩を道徳的観念から制限しイデアを認識することを最終過程におく教育法を提唱した。『国家』によれば詩は模倣の技術であり、真の知識ではなく、詩人は理想国家には己の場所を持たない(詩人追放論)。プラトンは対話篇形式を考案し、それまでの韻文による哲学に代わって散文による思索を導入した。プラトンに続くアリストテレス(紀元前384年 - 紀元前322年)は散文による哲学を推し進める一方、『詩学』において再び詩の教育的効果を説くとともに、詩形式を分類し、悲劇をもっとも優れた詩とみなした上で、『オイディプス王』などの優れた悲劇作品を分析して、その構造と本質を究明した。 また同じ時期の散文分野には、『歴史』により西洋歴史学の祖となったヘロドトス、『戦史』を残したトゥキディデスなどの歴史家、『アナバシス』や『ソクラテスの思い出』を残した文筆家クセノポンなどが現れた。雄弁家イソクラテスが母音調和を説いたのもこの頃である。
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