アジア史概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 12:52 UTC 版)
1942年に文部省教学局で「大東亜史概説」編纂が企画され、東京帝大の池内宏、京都帝大の羽田亨が編纂責任者、編纂嘱託として鈴木俊、山本達郎、安部健夫と宮崎が委嘱された。文部省の意向では、ビルマ以東の大東亜共栄圏において、世界で最も古い歴史を持つ日本を中心に、皇国の文化が朝鮮・中国からアジア各地へ光被していく歴史を書くということだった。その提案に対し嘱託4名は、叙述の範囲をアジア全体とし、日本ではなく西アジアを扇の要の位置とし、最古の文明が西アジアに発祥して東に延びて、最後の終着点である日本で最高度の文化を結晶させた、という方針を答申し、文部省はあっさりこの案を認めた。宮崎による上古から唐代までの草稿は1944年に完成したが、終戦により企画は消滅する。 1947年にこの草稿を『アジヤ史概説 正編』として出版。次いで新たに最近世まで、および「アジア史上における日本」の章を書き足し『アジヤ史概説 続編』を出版した。1973年に学生社で改訂版刊行に際し、新たに「現代アジア史」の章を追加。1987年に中公文庫で再刊された。
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