アイルランドのMk.D
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 23:08 UTC 版)
「ビッカースC型中戦車」の記事における「アイルランドのMk.D」の解説
アイルランド自由国がイギリスから輸入した戦車が、Mk.Cの準同型である、Mk.D(ヴィッカースD型中戦車、Vickers Medium Tank Mk.D)である。Mk.DはMk.Cの砲塔に車長用キューポラを取り付けただけで、両車の外見にほとんど違いは無い。武装や最大速度はMk.Cと同じである。 Mk.Dは、Mk.Cよりも、わずかに装甲が厚く(6.25-8 mm)、わずかに重く(12.7 t)、重量増に対応するためか、サスペンションも少し改良され、エンジン(サンビーム アマゾン)出力が高い(170 hp)とされる。 差し詰め、Mk.Cが、ヴィッカース中戦車 Mk.Iに相当するならば、Mk.Dは、改良型にして装甲増厚型であるであるヴィッカース中戦車 Mk.IIに相当するとも言える。 Mk.Dは、1929年に、シェフィールドにあるヴィッカース・アームストロング社ドン川工場にて製造された。Mk.Dの製造数は、Mk.Cと同じく、試作車1輌のみである。 それまで装甲車しか保有しておらず、ヴィッカース中戦車 Mk.IIに関心があったアイルランド陸軍は、大規模な機甲部隊を創設する計画は無かったが、戦車を研究する必要は認め、アイルランド陸軍幹部の教育訓練用に、1929年3月にMk.Dを輸入した。 Mk.Dは、アイルランドにおける機甲戦の第一人者であるショーン・コリンズ・パウエル中尉によって、イギリスでテストされた。彼は、アメリカはメリーランド州のアバディーン試験場で、戦車の使用と応用に関する訓練を受けた。 Mk.Dは、ダブリン郊外のラスマインズにあるカタル・ブルーガ兵舎(アイルランド語: Dún Chathail Bhrugha)を拠点とする、アイルランド騎兵隊(アイルランド語: An Cór Marcra)の第2騎兵中隊に配備された。 1934年から1935年にかけて、新たに購入された2両のL-60軽戦車と組んだが、Mk.Dが既に時代遅れであることを明らかにしただけだった。 1940年まで軍に残されていたが、対戦車装置の対戦車射撃試験で車体は標的として破壊され、スクラップとなり、砲塔ははずされ、トーチカに転用された。 今でもこの砲塔の砲は、アイルランド最初の戦車の遺物として、カラ キャンプ(Curragh Camp)で展示されている。
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