その仕事と演出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 04:07 UTC 版)
「ヴィーラント・ワーグナー」の記事における「その仕事と演出」の解説
1956年の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第2幕の場合、ト書きではニュルンベルクの街並みを再現するはずが、舞台上には石畳を暗示する演壇とザックスとボーグナーの家を表す椅子、菩提樹を表す球塊という具合に簡素化された舞台に当時の評論家は『ニュルンベルクなき「マイスタージンガー」』と評したという。 1962年の『トリスタンとイゾルデ』でヴィーラントは、深層心理の側面からこの作品を解釈しようとする手法を試み、ユングの心理学を援用した演出を行なう。例えば第1幕では船の船首を暗示するオブジェが置いてあるのみで、あとは照明のみに語らしめるという極めて観念的な解釈を提示した。 死の前年に当たる1965年に演出した『ニーベルングの指環』の序夜『ラインの黄金』では、ライン川の川底の金塊が土偶のようなオブジェで表象され、第1夜『ワルキューレ』ではフンディングの家が樹木と岩石がとぐろをまいた形に作られ、第2夜『ジークフリート』ではミーメの洞窟が動物の臓器の内部のように、第3夜『神々の黄昏』ではギービフング族の場内の壁が月面のクレーターのようになっており、動物の頭蓋骨までかけてあるという趣向で、『指環』の登場人物の心象風景を表したという。 ヴィーラントはリヒャルト・ワーグナーの楽劇を、例えばシェイクスピアの劇がそうであるように、時代や風土を超越した形で上演・受容されるべきだという思惑(バイロイトがナチス・ドイツの宣伝に利用されたという過去を『消毒』するという意味からも)を抱いており、彼の演出はそうした思惑の投影であったという事もできる。ヴィーラントはバイロイト以外でもドイツ各地のオペラ・ハウスで演出を手がけており、手がける作品もワーグナーに止まらず、『フィデリオ』、『カルメン』、『アイーダ』、『オテロ』、『エレクトラ』『サロメ』など多岐にわたっている。
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