この時期の特急列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 17:49 UTC 版)
富士(ふじ) - 1929年(昭和4年)9月、当時の国有鉄道を運営していた鉄道省は前述した 1・2 列車に「富士」と命名した。これは日本初であり、また公募によるもので(公募については列車愛称を参照)、後述する「櫻」・「燕」もそこから命名されている。「富士」は戦前の日本を代表する列車となり、一等展望車を最後尾に連結していた。1942年(昭和17年)11月、関門トンネルの開業により「富士」は運転区間を長崎駅まで延長、翌年博多駅までに短縮し、1944年(昭和19年)4月に廃止された。 櫻(さくら) - 1・2 列車に「富士」と命名されると同時に、3・4 列車には「櫻」と命名。1934年(昭和9年)12月までは、「富士」に対して十数分先行するような時刻で運転された。前述した「大衆列車」としての使命を全うして運転されていたが、1942年(昭和17年)11月に急行列車に格下げられた。 燕(つばめ) - 1930年(昭和5年)10月、東京駅-神戸駅間に一・二・三等の各等をすべて連結した列車として運転を開始。この列車には所要時間を短縮するために様々な工夫がなされ、1934年(昭和9年)12月には東京駅-大阪駅間を 8 時間で運転、戦前の最高記録を打ち立てた。1943年(昭和18年)10月に廃止。 '"`UNIQ--templatestyles-0000004A-QINU`"'鷗(かもめ) - 1937年(昭和12年)7月、東京駅-神戸駅間に運転を開始。前述した「櫻」・「燕」の補助的性格の強い列車であった。1943年(昭和18年)2月に廃止。
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