『食道楽』への貢献とは? わかりやすく解説

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『食道楽』への貢献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 00:01 UTC 版)

村井多嘉子」の記事における「『食道楽』への貢献」の解説

夫・弦斎の小説食道楽』は、当時としては破格10万部、シリーズ累計では50近く売り上げるベストセラーとなった同作小説であると同時に和・洋・中の630種の料理、食に関する知識伝授する形で展開される料理書一種でもあり、嫁入り道具食通本として扱われ美食ブーム巻き起こした。『食道楽』の執筆に多嘉子は深く関わった。 弦斎が『食道楽』を執筆したのは、多嘉子の素人離れした手料理堪能するうち、食を中心にして近代的な家庭生活説く実用書思いついたためとされる。弦斎は、自分でほとんど厨房に立つことがなかったため、料理に関する実践的知識多くを多嘉子に頼っており、レシピ考案には多嘉子が協力当たった小説題材は、当初は多嘉子が作る家庭料理の中から選ばれその後は多嘉子の親族である大隈重信から派遣されコックらの作る西洋料理使われた。コック西洋料理についても、試作品を多嘉子が家庭向けアレンジしていた。このほか、様々な執筆活動必要な書籍新聞記事収集資料探しなども多嘉子が引き受けており、小説・エッセイの類は、記事誤りがないかどうかすべて多嘉子がチェックしていたとされる。 弦斎自身は、こうした多嘉子の貢献について『食道楽』の続編はしがきで、 味覚俊秀調味懇篤、君は実に我家のお登和嬢たり。小説食道楽成りしも、一半は君の功に帰せざるべからず。 と記し同作ヒロイン・お登和なぞらえて多嘉子を称えている。 村井弦斎傾倒し墓前祭「弦斎忌」の実行委員長務めていた小説家火坂雅志は、このお登和というキャラクターは多嘉子をモデルしたもの間違いないとし、弦斎の美食生活を支えていたのは料理の達人だった多嘉子であると評価している。また、村井弦斎研究サントリー学芸賞受賞した黒岩比佐子は、弦斎が多嘉子に宛てた手紙分析し、「秘書のようでもある」と位置づけている。新人物往来社郷土史研究特賞受賞経験を持つ平塚市郷土史研究家・丸島隆雄も、村井多嘉子を「『弦斎事務所』の優秀な秘書でもあった」としている。また、丸島は、多嘉子と弦斎は食育研究・家庭生活研究進めていくうえで「車の両輪のような関係」だったと分析し、「弦斎夫人」との肩書は、村井多嘉子はあくまで弦斎の妻に過ぎないということを示すものではなくこれまで弦斎の名で発表されてきた数々の食に関する研究共同研究者村井多嘉子であったという事実を示すものとしてとらえることを提唱している。

※この「『食道楽』への貢献」の解説は、「村井多嘉子」の解説の一部です。
「『食道楽』への貢献」を含む「村井多嘉子」の記事については、「村井多嘉子」の概要を参照ください。

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