『食道楽』への貢献
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夫・弦斎の小説『食道楽』は、当時としては破格の10万部、シリーズ累計では50万部近くを売り上げるベストセラーとなった。同作は小説であると同時に、和・洋・中の630種の料理、食に関する知識を伝授する形で展開される料理書の一種でもあり、嫁入り道具や食通本として扱われ、美食ブームを巻き起こした。『食道楽』の執筆に多嘉子は深く関わった。 弦斎が『食道楽』を執筆したのは、多嘉子の素人離れした手料理を堪能するうち、食を中心にして近代的な家庭生活を説く実用書を思いついたためとされる。弦斎は、自分でほとんど厨房に立つことがなかったため、料理に関する実践的知識の多くを多嘉子に頼っており、レシピの考案には多嘉子が協力に当たった。小説の題材は、当初は多嘉子が作る家庭料理の中から選ばれ、その後は多嘉子の親族である大隈重信から派遣されたコックらの作る西洋料理が使われた。コックの西洋料理についても、試作品を多嘉子が家庭向けにアレンジしていた。このほか、様々な執筆活動に必要な書籍や新聞記事の収集、資料探しなども多嘉子が引き受けており、小説・エッセイの類は、記事に誤りがないかどうかすべて多嘉子がチェックしていたとされる。 弦斎自身は、こうした多嘉子の貢献について『食道楽』の続編のはしがきで、 味覚の俊秀、調味の懇篤、君は実に我家のお登和嬢たり。小説食道楽の成りしも、一半は君の功に帰せざるべからず。 と記し、同作のヒロイン・お登和になぞらえて多嘉子を称えている。 村井弦斎に傾倒し、墓前祭「弦斎忌」の実行委員長を務めていた小説家の火坂雅志は、このお登和というキャラクターは多嘉子をモデルにしたもので間違いないとし、弦斎の美食生活を支えていたのは料理の達人だった多嘉子であると評価している。また、村井弦斎研究でサントリー学芸賞を受賞した黒岩比佐子は、弦斎が多嘉子に宛てた手紙を分析し、「秘書のようでもある」と位置づけている。新人物往来社の郷土史研究賞特賞の受賞経験を持つ平塚市の郷土史研究家・丸島隆雄も、村井多嘉子を「『弦斎事務所』の優秀な秘書でもあった」としている。また、丸島は、多嘉子と弦斎は食育研究・家庭生活研究を進めていくうえで「車の両輪のような関係」だったと分析し、「弦斎夫人」との肩書は、村井多嘉子はあくまで弦斎の妻に過ぎないということを示すものではなく、これまで弦斎の名で発表されてきた数々の食に関する研究の共同研究者が村井多嘉子であったという事実を示すものとしてとらえることを提唱している。
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