『時事新報』論説の立案者と起稿者とは? わかりやすく解説

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『時事新報』論説の立案者と起稿者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 10:19 UTC 版)

脱亜論」の記事における「『時事新報』論説の立案者と起稿者」の解説

脱亜論」が時事新報掲載された無署名論説であることから福沢自筆であることに疑義挟み論説執筆者判定展開する研究者もいる。実際に福沢存命中に発行された『時事新報』は約六千号にものぼり、その全て福沢執筆していない。また、前述通り福沢脱亜論著したとする直接証拠存在しない。『正続福澤全集』の編纂者石河幹明収録した時事新報社説について、『続福澤全集第1巻の「時事論集例言」で以下のように説明している。 「時事新報」の社說中には先生が其趣旨記者に語つて起草せしめられたものもあり、又記者草した原稿添削して採用せられたものもあるが、元來先生の筆政は極めて嚴密にして、文字は勿論その論旨までも自身の意に適するまで改竄補正施し、殆ど原文の形を留めないものもあつた。或は此集を注意して通讀する讀者間々生硬不熟なる文字用語を發見することがあらう。先生削正は常に一字一句の末にまで及んだけれども、非常に繁忙の際もしくは印刷急を要する場合などには多少字句看過せられたこともあるが、併しながらかゝる場合極めて稀れであつた。而して先生校閲經て社說掲げたものでも他人草稿係る分はこれを省いた。 — 石河幹明、石河 (1933)、1-2頁。 さらに、石河は『続福澤全集第5巻の「附記」で時事新報社説における自身役割を以下のように説明している。 私は明治十八年時新報社に入り暫くの間外國電報の飜譯等に從事してゐたが、同二十年頃から先生指導の下に專ら社説草することになつた。當時時事新報」の社説先生が自ら筆を執られ、或は時々記者口授し起草せしめらるゝこともあつたが、其草稿一々嚴密な修正添削施された上、紙上掲載せしめられた。固より社説記者は私一人のみではなかつたが、私が筆に慣るゝに從つて起稿を命ぜらるゝことが多くなり、二十四五年頃からは自からせらるゝ重要なる説の外は主として私に起稿を命ぜられ、其晩年及んでは殆ど全く私の起稿といつてもよいほどであつた。勿論其間にも私自身草案に成つたものも少なくなかつたが、先生病後も私に筆記せしめられたものがある。即ち本篇中の「先生病後篇」と題する七十餘篇がそれである。三十一年九月先生大患以後大正十一年時新報社を辭するまで約二十何年間は私が專ら社説擔任してゐたので、前後三十何年間に私の執筆した社説の數は何千を以て數ふるほどであつたらう。 — 石河幹明、石河 (1934)、737頁。

※この「『時事新報』論説の立案者と起稿者」の解説は、「脱亜論」の解説の一部です。
「『時事新報』論説の立案者と起稿者」を含む「脱亜論」の記事については、「脱亜論」の概要を参照ください。

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